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[Novel:07] -P:07-


 旭希が今まで聞いたこともない、濡れた響き。

 炯の指を掴んでいた手が、震えていることにも構っていられなかった。
 ――誰…誰だ?!
 炯からは聞いたことのない名前。思わず身を引いてあとずさった旭希に、炯が切なく手を伸ばす。
「今日だけ、そばにいてください…」
 旭希に甘えるのとは全く違う声で、誰かを求めている。飛びのくように炯から離れた。
 白い手はぱたりとシーツに落ち、柔らかな寝息が一瞬の悪夢を嘘だとでもいうように、規則正しく繰り返されている。
 聞き間違いだと思いたい。
 いや、確かに聞いた。
 炯は「タカヤ」と、唇を重ねた旭希のことを呼んだ。旭希の中に、今夜の炯が呟いた言葉が、一気に蘇ってくる。

 どうしてここに、いてくれいないんですか……行かないで下さい……淋しいときは呼べって、言ったでしょ…欲しいって、僕が言うのは聞いてくれないとでも……じゃあどんな台詞なら、堕ちてくれるんです…
 ――抱いて下さい……

 そうだ。友人である旭希に、炯があんな風に話しかけたことなど一度もない。
 身体を満たしていた陶酔が、急速に冷めていく。
 炯を抱いて、彼が男に抱かれたことのある身体だということは覚悟した。けれどそれは、過去のものだと信じて疑わなかったのに。

 ずり落ちるようにベッドから離れた旭希は、急に鳴り響いた電子音にびくりと肩を震わせ、振り返った。
 ――Pi…Pipipipi…Pipi
 一切着信音を弄っていない、炯の携帯電話だと気付き、慌てて脱ぎ散らかした服を探る。すぐに見つけ出して、開いた。
 深夜の部屋に響く音で、炯が目を覚ますのを恐れただけの行動だったのだが。開いた画面を見た旭希は、そこに現れた通告を読んで、もう一度凍りつく。

 ――新着メール:1件
 ――送信者:Takaya

 まさにそう。今、炯が呼んだ男からのメール。
 炯が誰よりも愛するかわいい娘の待ち受け画像に重なって、冷たい文字が地獄のありかを告げている。仕事以外でのメールを嫌う炯に、それを送るのは自分くらいのものだと思っていた。
 震える手でボタンを押した旭希には、自分のしていることが、たとえ家族であったとしても犯罪だということはわかっていたけど。そんなもの、今は彼の行動を止める理由にはならない。
 どうしても知りたかった。タカヤという男が、誰なのか。

 メールは、名前も付けられていないフォルダに振り分けられていた。ずらりと並んだ同じ名前に、気が遠くなる。全て開封され、そうしてほとんどのメールに炯が返信を書いていることまで、無機質な携帯電話は、残酷なほどあっさり告げる。旭希がメールを送った時には、返信を打つのが面倒だと、大抵電話で返事を寄越す炯なのに。
 もういいと叫ぶ声も聞こえたけど。抗いきれない旭希は、一番上の未開封のメールを開いた。

 ――いい加減 落ちついたか
   淋しかったら使え

 簡素なメールには件名すらない。短い高飛車な言葉。そして、添付ファイルが一件。
 見なければいいと思った。見たら不幸になる気がしていた。なのに自分を止められず、旭希はファイルを開いていた。

 携帯電話のカメラで取られたのだろう、その画像の中には、炯がいた。旭希の愛する炯が、メガネを外し、美しい顔を晒している。

 苦しげに眉を寄せ、少し頬を紅潮させて、きれいな顔は艶めかしく懸命に奉仕していた。すぼまった頬。醜悪なものを支える、細い指。
 
 誰か男のものを咥えた炯の姿。
 
 疑いようもない。
 この写真を撮ったのは炯にこんな表情をさせている男。恥ずかしげもなくこんなメールを送りつけ、甘い声で炯に名前を呼ばれた「タカヤ」という人物に間違いなかった。


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