[Novel:03] -P:10-
今はどんなに構っていてくれても、鷹谷にとって自分は、しょせん毛色の変わった玩具でしかないのだろう。それに……どうしても。鷹谷が佐久間組の者である以上、住む世界が違う。
旭希の強い腕の中で、炯は辛そうに目を閉じる。旭希は、ずっと自分を愛していたと言った。別れた妻に会うよりも、ずっと前から。
鷹谷のそばと、旭希のそばと。どちらが幸せでいられるかなんて、考えるまでもないことだろう。
望むのは、穏やかな毎日。
傷つけ続けた旭希のそばに、まだ炯の居場所があるというのなら。迷う必要なんか、ないはずだ。
まるで庇いあう子供のような二人の姿に、鷹谷は何も言わず立ち上がった。背を向ける彼に、炯は「思うようにすればいい」と言われた気がした。
……いつも、冷たいことを言いながら甘やかしてくれる、鷹谷に救われていた。最後のワガママをきいてくれると、彼が言うのなら。
心配そうな旭希に笑いかけ、炯はメガネを外した。
この顔が、鷹谷のお気に入りだったと知っている。最後なのだから見て欲しかった。自分では何がいいのか、わからないけど。鷹谷が少しでも興味を抱いてくれた自分に、戻っていたくて。
外したメガネを、旭希に渡す。
「持ってて」
「炯…?」
立ち上がって。
自分の足で、鷹谷に近づいた。
「鷹谷さん」
「なんだ」
「キンクレイス。もらってもいいですか?」
「持って帰る気になったか?」
「持って帰ります」
鷹谷の広い背中を、泣きそうな気持ちを堪えて見つめる。ずっと離れたかったのに、こんな別れ方をするとは思ってもみなかった。
自らダイニングへ取りに行った鷹谷は、栓を抜きながら戻ってきた。炯の前に立ち、一口含んだまま素早く炯に口づける。
「ん……っ」
素直に応じ、流し込まれた強いシングルモルトを受け取った。後ろでは慌てて立ち上がった旭希の声がしていたけど。炯は旭希を振り返ることも、背中を抱いてくれる鷹谷の手に応えることもしなかった。
最後にくれたキスは、全然甘くなくて。最後だということを、痛いくらいに刻まれてしまう。
ゆっくり唇が離れていって。
苦笑いを浮かべる鷹谷の指が、炯の口元を拭ってくれた。
「帰りは旭希さんに運転してもらいなさい」
「…はい」
頷き、ボトルを受け取った炯はもう鷹谷を振り返らない。
「行こう、旭希」
まとめてあった荷物を掴んだ炯は、旭希の手を引っ張って、そのまま足早に家を出て行く。
細い後姿を見つめながら、鷹谷は肩を竦めていた。
「フラれましたね」
最後まで黙って見ていた橘の言葉に、余裕の笑みを浮かべるのは、負け惜しみではない。
「今のところは、な」
そう、今のところは。炯も、旭希も。この別れが何の意味も持たなかったと、すぐに知るだろう。
だから今だけは、一人負けの立場を受け入れてやっても構わない。
朝日の差し込む部屋に取り残された鷹谷は、炯の忘れていったメンソールを取り上げた。
火をつけたタバコは、随分と頼りない味しかしなかった。