[Novel:04] -P:07-
そんな顔しなくていいよ、と。言いかける二階堂を振り返ったときには、いつも通りの勝気な子猫に戻っているのだけど。
「君が気づかないだけじゃないか?あの子の発してる信号に」
「コウは…」
「なに?」
「コウは、なんて」
手を握り締めた。どんなに自分を落ち着かせようとしても、どうしても指先が震えて止まらないのだ。
「ちょっと出かけるだけだと言ってたよ。荷物は、捨てるんだって。何が入ってるのって聞いたけど、要らないものって答えにもならないようなこと言ってたな」
そんな会話だけじゃない。二階堂に不安を抱かせた理由はたくさんあった。
真っ直ぐに自分を見なかったこと。声をかけたら、指先を震わせるくらいに驚いていたこと。宏之のことを頼むなんて、歳に似合わないことを言っていた。
最初は今度の番組のことなのかと思っていたけど、ひょっとしたら……
立ち上がった二階堂は、青ざめている宏之の肩を叩いた。
「とにかく、撮影が終わったらすぐに帰りなさい。僕が送っていくから。この後の取材も、なんとかしてあげるよ。だから…」
「二階堂さん」
顔を上げる。
宏之が「そう」思ったのは、直感以外のなにものでもなかった。
先日、ケンカをした。
晃のいない部屋に、震えが走った。
でも今は、そんなもの比べようがないくらい身体中が痛くて、引きちぎられそうな恐怖に悲鳴を上げている。
強引に、二階堂の手にしていた鍵を奪い取った。
「ちょっと、宏之くん?!」
「バイク貸して下さい!すいません!本当にすいません!」
詫びるのは、何に対してだろう。
リアルな形を描くことも出来なかった夢を、自分で捨てるから?自分を導いてくれた二階堂を、裏切るから?
撮影所の廊下を走る宏之に、後悔はなかったけど。もう二度と、ここへは来られないということはわかっていた。
TVは大きな金の動く仕事だ。
恋人のことが気になるからといって、新人が抜けてしまうことなど、許されない世界。
夢だった。今だって。
でも。
一秒でも早く、晃の元へ行かなければ。
そればかり考えて走る。
駐車場にたどり着き、稽古場で見慣れた二階堂のバイクに跨る。宏之は、自分を突き動かしているのが単なる喪失感だけではないと、自覚していた。衝動の正体を説明するのは、とても難しいけれど。
鍵を差して、イグニッションを回す。
身体の中まで響くエンジンの音が、晃を求めて悲鳴を上げているようにさえ思えた。