第三話


P5-6:
 幼い頃は何度かリュイスと共に先王アーベルに招かれて、夕食の席を囲んだことがある。公式の晩餐ではなかったが、王妃までもが並ぶその席には、いつもクリスティンと、今の状況が信じられないくらい仲の良かった弟王子も出席していた。
 ある時、当時まだ皇太子だったクリスティンの給仕をしていた若いメイドが、緊張のあまり誤ってワイングラスを倒してしまった。中身をクリスティンの服にぶちまけ、周囲が凍りついたときも、彼はメイドを諌めたりしなかったのだ。

 ―――君の手が触れるところに、グラスを置いてしまったんだね。濡れなかったかい?申し訳ないことをしてしまった。

 そう言って、泣いて謝るメイドの肩を優しく撫でてやったクリスティンは「堅苦しい格好をしているのに疲れていたから、ちょうどいい」と上着を脱ぎ笑っていた。
 誰に対してでも、そういう人なのだ。
 クリスティンの気遣いを知って、同席していた弟王子や賢護五石(ケンゴゴセキ)も、次々に上着を脱ぎ、正装を解いてしまう。先王のアーベルまでが正装を解こうとするので、慌てて隣にいた王妃と、息子である二人の王子が止めたことを覚えている。
 驚くテオをよそに、彼らは笑いあいながら、そのメイドのおかげで助かった、と場を繕っていた。
 
 
 
 ラスラリエの繁栄を髣髴とさせるようだった状況が記憶に蘇り、テオは辛そうに眉を寄せる。
 もうあの楽しい光景は戻らない。
 先王は殺された。赤の賢護石も死んだ。その様子を見ていた王妃は無事に生き残ったものの、心痛のあまり公の場には一切姿を現さなくなった。
 クリスティンは王となり、弟王子と賢護石たちは海賊に成り下がった。
 あまりに変わってしまった今のラスラリエこそ、テオには信じられない。ずっとあの楽しい時が、続くと信じていたのに。

 気遣いに溢れた皇太子。彼の思いやりを素早く理解していた、弟王子と賢護五石。自分たちの対面やつまらない格式より、己の過ちに涙を零す少女のため、彼らは同じ志で動いていた。
 あのままクリスティンとリュイスたちのもとに新体制が敷かれていたら、ラスラリエはどれほど幸せな国になっただろう。


P7:
 賢護五石には決まった寿命がなく、彼らはもっとも有効に魔力を使える容姿で、年齢が止まる。
 最年長に見えた赤の賢護石ディノは、確かに見た目のまま賢護石として在席期間も年齢も一番上だった。
 しかし最年少に見えるこの黄の賢護石レフは、いまやテオより年下でもおかしくない容姿だが、実のところリュイスより長く賢護石の任を努めている。


P7−8:
 賢護石の中でも少年の姿で年齢が止まったせいか、テオにも気さくだったレフ。
 彼は自分で料理を作り、周囲の者に振舞うのが趣味だった。テオも何度か口にしたことがある。
 それは確かに、王宮の料理人たちでも適わないくらい美味しくて。
 ここで与えられているものと同じ味だ。

 王宮にいた頃のレフが、テオの中に蘇ってくる。
 仕事に関しては厳しい人だったが、拷問のように続くリュイスの稽古を止めてくれるのは、いつもレフだった。

 リュイスのしごきについていけなくて、テオが己の不甲斐なさに泣いていると、レフはよく「お前は頑張ってると思うぞ」と慰めて、自分の作った料理を振舞ってくれたのだ。
 ちょうど、今みたいに。
 お前ぐらいのときはいくら食べても足りないだろ、と言って。
 ちゃんと食べて大きくなれば、そのうちリュイスなんか負かせるようになる、なんて。笑って。


第四話


P8:
 地方の町で発生し、ついに王都の人々まで罹患した死にいたる病。その根源が魔族の体液だということは、王宮の研究機関で突き止められている。
 魔族がヒトに牙を向いた、始まりの事件だ。
 当初は王都でも、魔族を責める者と、彼らに罪はないと庇う者に、人々の声は二分されていた。リュイスの手で育てられたテオも、魔族たちを庇っていた一人。
 しかしヒトは、あの血の戴冠式に思い知る。自分たちの身が、危険に晒されていたこと。
 魔族はとうに、自分たちを滅ぼす気で行動を起こしていたのだと。


第六話


P2:
 魔族であるリュイスたちは、ヒトを滅ぼそうとし、国を裏切った。
 魔族が王国を乗っ取る気でいるのだとか、第二王子が王位を自分のものにするため魔族を利用したとか。王都には様々な憶測が飛び交っている。しかし全ては想像の域を出ない流言だ。
 反乱劇の真相が何なのか、テオにはわからない。それだけはリュイスも頑なに口を開こうとしない。
 間違いなくわかっているのは、魔族が国王クリスティンの敵だということ。


P3:
 第二王子は死んだ赤の賢護石から魔力を奪い取って、自身を魔族に変えたと聞いている。


P4:
 テオのまぶたの裏に浮かぶクリスティンは、美しい金の髪を風に揺らし、透き通るようなアイスブルーの瞳を細めて微笑んでいる。そこに立っているだけで、王としての風格を備えている人。
 国民に威圧感を感じさせない。慈愛に溢れた若き国王陛下。

 戴冠式の後、気丈な態度で国民の前に立ったときのように。


P5:
 今ではリュイスと同じ海賊になってしまった、まばゆいばかりに輝く金色の髪の持ち主。黄の賢護石レフ。
 リュイスよりずっと長く賢護石の任を努めているのに、今のテオより若い姿を留めている彼は、王宮にいるときから料理が趣味だった。
 テオは自分にもよく手料理を振舞ってくれたレフに、聞いたことがある。なぜ賢護石という立場でありながら、いつまでも人に料理を作り続けるのかと。
 レフは幼い顔に大人びた表情を浮かべ、髪と同じ金色の瞳を優しく細めながら、テオに教えてくれた。

 ―――旨いものを食べて、不幸になる奴はいないだろう?料理ってのは、手っ取り早く他人を幸せにする方法だ。そのうちお前にも教えてやる。


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