@レフ視点
嵐の夜。
小さな部屋に通され、昔馴染みの侍女に付き添われているアメリア。
レフは隣の部屋で、彼女の声を聞いている。
天候を操るレフは、自分の役目をよくわかっている。ラスラリエの産業は、ほとんど自分の肩にかかっているといっても過言ではない。
だからこそ、個人的な感情を持ち込んではいけない。どんなにそれがアメリアを傷つけると知っていても、必要ならば嵐を起さなくてはならないのだ。
今日の嵐は、事前に彼女の夫であるベルマン医師に連絡してあった。もちろん国としても発表されるが、レフは個人的に、しかしベルマン以外には自分からとわからぬよう、嵐の予告を知らせる。
それは、自分勝手な罪滅ぼしなのかもしれない。
かつて誰よりも深く愛した女性。でも彼女の中にレフはもういない。
魔族であり賢護石であるがゆえに、いつまでも変わらぬレフ。その隣にいて、自分だけが老いていくことに耐え切れなくなったアメリアは、心を壊し錯乱して、レフに斬りかかった。
ちょうどこんな、嵐の夜だった。
彼女を守るため、当時の紫の賢護石であったアルダに依頼して、自分の記憶を消してもらったのだ。しかし絆が強かったからこそ、アメリアから完全にレフの存在を消すことは出来ず、嵐の夜が引き金になって、彼女は記憶を混乱させる。
自分が傷つけたことは思い出さず、しかし瀕死の重傷を負ったレフの姿が蘇って、王宮へ駆けつけるのだ。
レフの元にベルマン医師が現れた。
彼女の現在の夫であり、レフのことも全て承知しているベルマン医師は、同じ女性を愛した者同士、不思議な友情で結ばれている。
急患があって仕方なくアメリアの元を離れたと言うベルマン。迎えに来た彼と話しているうちに、二人はウィルトがいないことに気付く。
どこで迷子になっているのか。
闇に包まれた嵐の夜だ。子供が一人で表に出るのは危険すぎる。
レフはベルマンにアメリアのそばにいるよう伝え、数人の兵士と共に王宮を出た。
ベルマン家から王宮までの道を往復するが、ウィルの姿はない。少年は父に似た聡明な子供だと聞いている。だったら母の足に自分が追いつかないことを気付いているはずだ。
近道をしたのだと気付いたレフは、危険な崖沿いの道を走った。
どうして気付いたのかはわからない。
運命の采配だとしか言い様がない。
ふいに見下ろした崖の下。レフは少年が倒れているのを発見する。
兵士達には自力で駆けつけるよう伝え、自分だけ先に崖を下りた。天候を司る賢護石だ。魔力で風を起し、崖の下まで舞い降りるのは簡単なこと。
瀕死の状態で倒れている少年は、遠目に見ても足がおかしな方向に曲がってしまっている。
「ウィルト!」
彼の名前を叫んで近寄り、服が汚れるのも構わずに膝をついて、来ていた外套をかけてやった。
うっすらと瞳が開いた。少年は眩しそうにレフを見つめ、何かを言おうと口を開く。
「いいから、何も言わなくていい。もう大丈夫だよ」
話しかけるレフを見て、少しだけ微笑んだように見えた。アメリアと同じ瞳の色。よく似た面差し。少年はレフの腕の中で、ゆっくりと目を閉じ、気を失った。
少年の状態は酷いものだった。
王宮へ連れ帰り手当てを受けさせたものの、緊迫した状態は変わらない。ベルマン医師は連れて帰ろうといったが、動かさない方がいいのは目に見えていた。
レフの計らいで、王宮医師団の治療を受けられることになった。しかしもちろん、アメリアが王宮にいては不味い。彼女の為にもベルマン夫婦は帰宅、代わりにレフがウィルに付き添うことになった。
少年は何度も目を覚まし、何度も気を失う。レフは職務を放棄して、ずっと少年に付き添っていた。
幼い頃のアメリアを髣髴とさせる少年。彼の姿を見ていたかったのも、ここに居座った理由かもしれない。
少年は状態が落ち着いてくると、レフに微笑みかけ、何かを話してくれようとする。
まだ無理はしなくていいと、何度も諭したけど。ある時、少年はレフに首を振った。
「あな、た…は…だ…い、じょ…ぶ?」
貴方は大丈夫?掠れた声に問われる。この子は自身が辛い思いをしているというのに、心配そうなレフを気に掛けているのだ。
胸の内に熱いものを感じながら、レフはきれいに微笑んだ。
「ああ、私は大丈夫だよ、優しい子…ここにいるから。君が帰れるようになるまで、ずっとここにいるからね…」
囁いて額に口付ける。少年は嬉しそうに微笑んで、また眠りに落ちていった。
数日後。
少年の安らかな寝息を聞いていたレフは、侍女に呼ばれて部屋を出た。
すぐ隣の控え室に、ウィルの担当医、治癒能力を持つ緑の賢護石リュイス、ベルマン医師も顔をそろえ、レフを待っていた。
彼らの暗い表情を見て何事かと問うレフに、ベルマンが重い口を開く。
「ウィルトの右足は、二度と動かないでしょう。訓練により多少は回復するかもしれませんが、もう走ることは出来ません」
医師であるが故の冷静な言葉に、レフは愕然とする。
「バカなことを!あの子がいくつか、わかっているのか?!諦められるはずがない!何か方法があるはずだ。何か…リュイス、頼むから、そんなことを言うのはやめてくれ。お前ならなんとか、なんとかならないのか!」
悲鳴のような声をあげ、訴える。思わず緑の賢護石に掴みかかったレフを、ベルマンが止めた。
「リュイス様を責めるのはお止め下さい。たとえ誰であっても、これ以上の治療は出来ません。どんなに苦しくても、あの子は運命を受け入れなければ。…貴方が駆けつけて下されなかったら、命を失うところでした。ここで治療を受けられたからこそ、右足だけで済んだのです」
「ベルマン…お前まで」
「足を失っても、懸命に生きている者はいくらでもおりましょう。そんな人々に比べたら、あの子は幸せなくらいだ。ですから、どうか」
懸命に諭すベルマンの言葉に、レフは力を失って座り込む。
顔を見合わせていた三人だったが、それぞれに担当医は部屋を出、ベルマンは息子の部屋へ消えた。リュイスがレフの肩に手を置く。
「役に立てず、すまない。折れた骨を繋いでやることは出来るが、あの子の右足は骨が砕けてしまっている。何とか修復を試みたが、形を戻してやるのが精一杯だった」
沈痛な声に、リュイスが出来る限りのことをしてくれたと知り、レフは首を振って礼を口にした。
静かに出て行くリュイス。しばらくしてベルマン医師も戻ってきた。
「どうか気に病まないで下さい。もうしばらくの間、あの子をお願いします」
答えないレフにそう話しかけ、ベルマンも部屋を出ていった。
どれくらい一人で蹲っていたのか。レフはゆっくり立ち上がり、ウィルの元へ向かう。彼は眠っておらず、レフが近づくとまぶたを上げた。
もうこの子は他の子供たちと同じように、街を、野原を、駆け回ることは出来ないのだ。
「ウィル…私のせいだ。お前を、こんな…どうして私は…強大な魔力を持っていても、誰も救えない。大切な者を、誰も…」
アメリアの姿が重なった。自分のせいで失ったものの大きさに、言葉が出てこない。
唇を噛み締めるレフの手に、ウィルの指先が触れる。少年の手を強く握り締め、触れそうなくらいに顔を近づけて、何度も何度も髪を撫でてやった。
「魔族、なの?」
まだ掠れた、小さな声。
「…そうだよ」
「泣か、ないで…」
この子はいつもこうして、レフのことを気に掛けてくれる。ラスラリエを守る賢護石であるはずのレフを、心配して。
「…優しい子だね、ウィル。私は大丈夫だよ…苦しくないか?痛みは?」
ウィルが首を振るのに、ほっとして微笑みを浮かべた。握った手が弱く握り返される。
「名前…」
「ん?」
「名前、教えて」
ウィルの問いかけに、レフは黙り込む。
自分は彼を傷つけてばかり。嵐の夜が訪れるたび、母を心配して。今は右足さえも奪われた。二度と近寄ってはいけない。自分は少年を不幸にするばかりだ。
そうっと手を離し、立ち上がる。
「私の名はレフ。黄の賢護石、レフだ」
レフの顔が辛そうに歪んでいく。
「君の不幸は、私が招いたもの。全ては私の責任だ。君の自由を奪った愚かな男の名前を、覚えておきなさい」
そう言い置いて、レフは部屋を出ていった。もう二度と少年には会わないでおこうと誓って。
王宮ではウィルの治療が続けられていたが、もうレフは報告を受けるだけで、彼に近寄ろうとしない。しばらくの間は、放置していた仕事に没頭していた。
ある日、執務室を訪れたのはベルマン医師。
彼から明日にはウィルを連れて帰ると知らされ、レフはそうかとだけ返した。
「…明日、あの子を見送りに来てやっていただけませんか」
「すまないが、忙しくてな」
「レフ様、少しで構いません。あの子に会ってやって下さい」
「ベルマン」
「あの子が自分の足で立って、この王宮を去る姿を見ていただきたいのです。息子のためにも、貴方自身のためにも」
「…私の?」
「そうです。自由にならない右足を見るのがお嫌ですか?しかし、レフ様。私の息子が今ここにいるのは、貴方のおかげです。自分が救ったもの、拾い上げた命を、貴方は正面から受け止めるべきだ」
「………」
「何も、不幸なことなどない。ウィルトが生まれたのも。あの子が今、生きているのも。全ては貴方の与えたもの。ですから、どうかその目で。御自身の拾い上げた命のきらめきを、見ていただきたい」
答えられないレフに頭を下げ、ベルマンは静かに立ち去った。
翌日。会うのを躊躇うも何も、ベルマンの心配を他所に、リュイスがレフを連れ出しに来た。拒否するレフを強引に引きずっていく。こうなっては、子供のまま体の成長が止まっているレフでは、元帥であるリュイスに敵うはずがない。
無理矢理ウィルの元に押し出されたレフは、しかし顔が上げられなかった。なんと声をかければいいのか。
黙り込んで下を向くレフに少年の方が近づいた。
「…ここを出るまで、ずっとそばにいてくれるって、言ったのに」
拗ねた声で言われ、レフは仕方なく顔を上げた。そうしたら、少年は明るく笑っていて。
「ウィル…」
呆然と名を呟く。ウィルは初めて自分からレフの手を握る。力強い手だった。
「オレは、母さんのようにはならない」
真剣な眼差しに、うろたえる。
「貴方のそばを離れないよ」
子供のたわ言というには、あまりにも情熱的な言葉。確かにこの子がここにいるのは、アメリアの記憶が封印され、ベルマン医師と出会ったから。どんな理由であっても、それが自分の決めたことなら、この少年の命は自分が与えたものかもしれない。
レフは苦笑いを浮かべて「そうか」とだけ答えた。