A−1ウィル視点(ウィル7歳アルム5歳)

王宮の城壁の周りをゆっくり歩きながら、ため息を吐く。
ウィルト・ベルマンの想い人は、今日も冷たく相変わらず忙しいようだ。門番の兵士に追い返されたのは、ついさっきのこと。
しかしウィルはめげていない。
どうせ昨日も追い返されたし、一昨日も追い返されたのだから。
ラスラリエ王室は国民に絶大な人気を誇っているが、王宮への出入りとなると、話は別だ。各所に警備兵が立っていて、許可がなければ中へ入ることも出来ない。黄の賢護石に取り次いで欲しいと願う子供の言葉なんかに、耳を貸してもくれない。
それでも諦めきれず、どこかから入れないかと歩くウィルは、レフに会うことしか考えていなかった。

会ってどうなるものでもないけど。貴方のそばを離れない、と誓った以上、一日でも多くレフに会いたいのだ。
しかし望みは、なかなか叶わない。彼が自分に会いたがらない理由なら、父に聞かされて知っている。知ってはいるが、関係ない。
それは母とレフの事情であって、自分には関係ないはず。
彼には永遠に近いほどの時間があるかも知れないが、自分はそうもいかないのだから。

通用口にたどり着いたウィルは、そこから様子を伺う。
何かの搬入をしているらしい、大荷物。ダメ元で荷物の中に紛れ込んでみたら、意外とあっさり入れてしまった。
笑みを浮かべて荷物から抜け出し、王宮の敷地に忍び込む。外からは中へは厳しい警護が敷かれているが、中はのんびりしたものだ。堂々と歩いていたら、周囲は首を傾げているものの、誰も声をかけてこない。
同世代よりも頭がよく、しっかりした体つき。大怪我をしたって町では代わらず、ガキ大将。図太い根性が幸いして、落ち着き払っているウィルのことを、誰も疑わなかった。

きれいに整えられた庭に迷い込み、これからどうしたものか、どこへ行けばレフに会えるのかと視線をめぐらせていたウィルは、木の陰で苛立たしそうに花壇を踏みつけている男を見つけた。
父より年上だろう。似合わない派手な衣装を身にまとい、男は眉を逆立てて、きれいに咲いた花を片っ端から踏みつけている。しばらく黙って見ていたが、一向に止めようとしない。
「やめろよ、せっかくきれいになってんだから」
思わず声をかけたウィルを見て、男は一瞬焦りを浮かべ、しかしすぐに怒りで顔を色を変えた。
「何だお前は、どこの者だ」
誰何の声にうろたえる。レフの関係者だと答えるべきか?しかしそれで、レフに迷惑がかかったら?
黙り込むウィルを見て、男は侮蔑の表情を浮かべると、すぐさま衛兵を呼びつけた。
駆けつけた兵士の姿に逃げ出そうとするが、足の悪いウィルは走ることが出来ない。あっという間に捕まってしまう。
首根っこを吊り上げられながら暴れるウィルを、男は牢に放り込めと言い出した。そんなことをされたら、レフどころか父にまで迷惑をかける。愕然とするウィルだが、男の言葉には兵士たちも眉を寄せた。
「しかし、まだ子供で…」
「貴様らは私を誰だと思っているんだね!お前らも牢に入れてやろうかっ」
八つ当たり同然の言葉に、兵士たちは顔を見合わせている。苛立った男がいっそう眉を逆立てた。
「もういい!貴様らが連れて行かんのなら、私がここで切り伏せる!」
まだ幼いウィルを相手に、男が剣を抜いたとき。思わず目を閉じたウィルは「お待ちください」という、落ち着いた子供の声を聞いた。

「彼は私の友人です。どうか剣を収めて下さい」
「クリスティン殿下」
目を開けると、淡い金色の髪が美しい小柄な少年が、こちらへ近づいてきた。公式行事などで、見た覚えがある。皇太子殿下だ。
慌てて自分を解放した兵士から逃れ、どうやら庇ってくれるつもりらしい皇太子の方へ近づく。彼は優しく微笑んで、ウィルを見ていた。
「怪我はありませんか?」
「う、うん」
「申し訳ありません、私が遅れたせいで、ご迷惑をおかけしましたね」
細い指でウィルの服を掴むと、そっと自分の後ろに庇ってくれた。クリスは兵士たちに深く頭を下げている。
「約束した場所に私が現れなかったから、迷い込んでしまったのでしょう。お手を煩わせて、本当に申し訳ありません」
「いえ、あの、殿下…どうか頭をお上げください」
動揺する兵士の向こうで、不満げな男がまだウィルを睨んでいる。そうして相変わらず侮蔑の表情で、自分が呼んだ二人の兵士を見つめ、嫌味な笑みを浮かべた。
「殿下のお友達ですと?でしたらこやつ等は、相応の処分を受けねばなりませんなあ。曲者がおると騒ぎ立て、私にここで切り伏せるよう進言したのは、この者たちだ」
「そんな、大臣!」
「うるさいっ!己の立場を知れっ」
怒鳴る大臣をじっと見つめ、クリスは首を振った。
「必要はありません。彼らは私の友人を見つけてくれた。感謝しこそすれ、何を裁く必要がありますか」
「それでは下の者へ示しがつかんでしょう。殿下もこれから国王になられるお立場なら…」
「大臣。この国には、たとえ皇太子であっても、公正な裁きの場もなく兵士を罰する法などありません」
「しかし」
「では司法の手にゆだねますか?ここで起きたことを明らかにし、彼らが誰の命で駆けつけたのか…その、花壇の理由も」
「………」
「どうやら踏み荒らされているようだ。彼らの足にしては小さく、友人の足では大きい足跡は、一体誰のものなのでしょうね。王の庭を荒らすのは、国王陛下に対する不敬罪。それは皇太子に対する不敬より、ずっと重罪かと思うのですが」
「………」
「私のせいで王の庭に迷い込んでしまった友人を、二人の兵士と大臣が見つけてくださった。私はそう考え、感謝しています。ですが大臣、私の知らぬ所で、もっと大きな事態が起きているのでしょうか?」
「私は通りがかっただけですよ」
ふん、と大きな鼻息を残して、大臣が足早に去っていく。兵士たちは顔を見合わせて、安堵のため息を吐いた。
「殿下、ありがとうございます」
兵士達の感謝に首を振り、余計なことは言わずにこりと微笑む。クリスはウィルを振り返ると、やんわり腕を押して歩き出した。
「行きましょう」
「うん。あの、ごめんな」
「構いません。ですがどうか、今はこのまま」
余計なことを言わずについて来い、とでも言うようにウィルをつれて歩き出したクリスは、そのまま黙って書庫まで来ると、誰もいない書架の間でふっと息を吐いた。
「すっげえ本の量!」
「ええ。ここなら誰の耳もありませんから」
優しく笑う細面の美貌。レフほどではないがしばらく見惚れていたウィルに、クリスはイスを勧めてくれた。
「ベルマン先生のご子息でいらっしゃいますね?」
「うん。知ってたのか」
「存じ上げています。前に一度お会いした時、私と同い年のご子息がいらっしゃると伺いましたし。しばらく王宮で、療養されていたでしょう?」
「ああ、そっか。…なあ、オレもそういう難しい言葉使わないと、不敬罪?」
気まずそうに尋ねるウィルに、クリスは笑い出した。
「いいえ、必要ありません。今日はまた、どうして?」
「今日はっていうか、毎日レフに会いに来てんだけどさ。なかなか入れてくれなくて」
「レフ?…彼は今日、視察に出ていて王宮にはいらっしゃいませんよ」
「そうか…残念。でもまあ、いいや。お前と友達になれたし」
「え?」
「あ…悪い。社交辞令ってやつだった?」
「い、いいえ。でも、あの…いいんですか?」
「なんで」
「なんでって…」
友達になるということに、困惑するクリスだったが、物怖じしないウィルにようやく頷いてくれた。
(自分と友達になっても、有利なことなど何もない、とかなんとか、クリスはいつも通り後ろ向きなことを考えていた)
話しているうち、二人は自分達の知能レベルが同等なこと(同世代にはまずいない)を知る。
またさっきのクリスの態度にウィルが感心したこと、クリス自身は自分が凄いなんて少しも思っていないこと、ウィルが今度来る時はクリスの友人だと名乗ってもいいこと、クリスが市井のことに興味を持っていることを話し合う。
(全部書くと長いので、ざっくり書いておきます)


ウィルは珍しく正式な手順を踏み、王宮を訪れてレフよりも先に、クリスの元を訪ねる。病弱な彼は、青白い顔で床についていた。しかしウィルの顔を見て身体を起こそうとするので、それを制し枕元に腰を下ろした。
クリスが人払いをして、誰もいなくなって。心配するウィルに、クリスはいつものことだと苦笑い。
「今日はどうされたんですか?確かレフは執務室に…」
「後で行くって。それより、これ。見たかったんだろ?」
こっそり持ち込んだウィルがクリスに差し出したのは、町で売られているタブロイドのような三流紙。
「さすがにオレみたいな子供じゃ自分で買えないし、なかなか手に入らなかったけど。友達の父ちゃんがくれたんだ」
「いいんですか?」
「ん、オレは昨日のうちに読んだから、お前にやるよ。でも、読むのは明日な。今日はちゃんと休め」
大事そうに受け取ったクリスは、礼を述べてそれを分厚い本に挟んだ。
「あのさあ、クリス。興味あるのはわかるけど、それに書いてるのほとんど嘘だぜ?」
「ええ。わかっています」
「いいのかよ」
「私が知りたいのは、国民の本当の気持ちなんです。どんなことに楽しみを見出し、どんな不満を抱えているのか」
「本当は王室を、どう思ってるのか?」
「敵いませんね」
苦く笑うクリスは、これからのラスラリエをどう考えているのか。ちょっとだけ興味がひかれて、尋ねようとした時。部屋の外から騒動が聞こえてきた。
「お待ち下さい!そちらへ行ってはいけませんアンゼルム様!!」
侍女たちの大声。バタバタうるさい足音。ウィルが首を傾げていると、バアン!と派手に扉が開いて。小さな少年が転がり込んできた。
「やっぱり!お前がウィルだろっ!」
「はあ?!」
いきなり現れてウィルを睨みつける少年の後ろから、クリスの身の回りの世話をしている年輩の侍女たちが駆け込んできた。慌てて頭を下げ、なんとか少年を連れ出そうとしている。
「もうよろしいでしょう、アンゼルム様!さあ早くっ!クリスティン殿下は臥せっておられるのですからっ」
「だってあいつは兄上と一緒にいるもん!ぼくだってここにいるっ」
「いけませんっ」
やだやだ!と暴れるアルムはクリスに駆け寄りしがみついてしまう。溜め息を吐いたクリスは、弟の背中を抱いて引き離そうとする侍女を止めた。
「構いません」
「ですがクリス様、お体に障りますから」
「大丈夫ですよ…アルム、静かにしていられるかい?」
「うん!おとなしくしてるっ」
現段階で少しもおとなしくはないのだが、嬉しそうな弟の姿にクリスが頬を綻ばせる。侍女たちが渋々手を引いた。
「では少しの間だけ…」
ため息を吐いて、侍女が部屋を後にする。誰もいなくなった途端、またアルムはウィルを睨みつけた。
「お前は帰れっ」
「アルム、やめなさい」
「だって兄上!」
「静かにしている約束だろう?ウィルは私の友人なんだよ」
渋々黙ったアルムは、まるで兄を独占しているのは自分なのだと見せ付けるかのように、ベッドへもぐりこみクリスに抱きついてしまう。幼い弟王子が、自分にやきもちを焼いているのだと知って、ウィルは笑い出した。
「愛されてんなあ」
「…どうでしょうか」
離れようとしないアルム、困惑しているクリス。このままでは、休むことも持ってきた三流紙に目を通すことも出来ないだろう。
(読むなと言っても、一人になったら読むのはお見通し)
「さて…ところでさ。今日はレフ、いるよなあ?」
「ええ」
「一昨日、会いに来たとき。ケーキを焼いておいてくれるって約束したんだけど、用意してあると思うか?」
ちなみに「だからすぐ帰れ」と繋がっていた言葉なのだが、意味深にアルムを見て省略。意図に気付いたクリスも、笑みを浮かべた。
「ええ、きっと。今の時期なら果物のタルトでしょうね。レフのケーキは美味しいですよ」
「レフのケーキ?!」
案の定、アルムは目を輝かせる。ウィルとしても、アルムを連れて行けばレフが自分を邪険に出来ないという意図があった。
立ち上がり、じいっとアルムを見つめる。
「おとなしくしてんなら、連れてってやるけど?」
「兄上は?兄上も一緒に行く?」
「残念ながら」
「え〜…じゃあぼく、ここにいる」
「バカだなあ、お前」
「ぼくは兄上の弟王子だぞ!バカって言うなっ」
「王子だろうと大臣だろうと、バカはバカだ。いいか?レフのケーキは美味いよな?」
「うん」
「でもクリスは体調が悪くて、西館までは行けないだろう?」
「…うん。??」
「もし誰かがレフんとこまで行って、ケーキをここへ届けたら、クリスが喜ぶと思うわねえ?」
「あ…」
「別にいいけど。オレが届けても」
「ダメ!」
そんなこんなで、アルムとウィルも親しくなり、レフの元へ去っていく。
ページに余裕があったら、ウィルがアルムを懐柔していることに、レフが苦い顔をするところまで。