Dアルム視点(ウィル17歳、アルム15歳)
※Cと同日、というか翌朝
ふっと目を開けた。身体に残る気だるい疲れに、昨夜の記憶が蘇る。
一度目を閉じて、そうっと腕の中の人を確認した。細面の美貌が少しだけ青ざめている。それでもアルムは、嬉しくて。いまだ目覚めぬ想い人に、愛しさを募らせた。
自分の腕の中で眠りについている兄。でもアルムにとって彼はずっと、兄以上の存在だった。
幼い頃から追いかけていた。いつもどこか寂しそうで、しかし自分を見つめる瞳は本当に優しくて。こんなに美しい人を、アルムは他に知らない。
許されない想いなのはわかっている。
同性で、しかも血の繋がった兄弟だという禁忌はもちろんだが、それ以上に兄は、この国の王となる存在なのだから。
いつか王妃を娶り、子をなして、ラスラリエを次代へ繋いでいかなければならない。そんなこと、誰に言われるまでもなく、わかっているのだ。
兄からの無言の拒絶は知っていた。そうしなければならないと、自分にも言い聞かせていた。だけど募っていく想いは、どうしても消すことが出来なくて。苦しくて辛くて、どうにかなってしまいそうで。
まるで自分の変わりだとでも言うように、紫の賢護石ファンを押し付けたクリス。
少しだけ雰囲気が似ているのが認めるが、誰であっても、兄の代わりになんかならない。
もしクリスが、ファンを理由に自分から離れて行こうとしているのなら。それはあまりにも自分の想いを軽んじている。
昨夜のことだ。
アルムはいつも通り、兄にファンの様子を伝えに行った。そうしたら兄は、ウィルから話を聞いているから、もう自分に報告しなくてもいいんだと言い出して。
それはなんだか、兄にはウィルが、自分にはファンがいるとでも、言われたような気がして。
……とうとう、キレてしまったのだ。
ファンも、ウィルも関係ない。自分が愛しているのは貴方で、この想いは誰にも負けないんだと訴えた。ラスラリエが、世界が、貴方以外の誰がどうなっても構わない。
貴方が欲しい、他には何もいらない。
愛しているんだと叫んだ自分を…クリスはとうとう、受け入れてくれた。
自分の手で乱れて、いつもの兄からは想像も出来なかったくらい、淫靡に腰を揺らして。病弱だった兄の身体を気遣うアルムに、彼は首を振って、もっと深くとねだった。
悲鳴のような喘ぎ声を聞いているだけで、おかしくなりそうだ。何度も何度も、愛していると囁いた。
わかっている。これは、許されない恋だ。
でもクリスは許してくれた。
だったらもう、他には何もいらない。
「クリス…」
囁いて口付けると、兄の身体が僅かに震える。何度か瞬きをして、ぼうっとした瞳がアルムを見上げた。
「…アルム」
「うん」
「夜が…明けたのか…」
「ああ。朝だよ」
まだ身体に燻っている熱に身をゆだね、ゆっくり兄の肌に手を滑らせると、強い力で引き離されてしまった。
「クリス?」
「駄目だ」
「…でも、俺」
「やめなさい…もう、行くんだ」
溜め息を吐きながら身を起した兄のつれない態度に、アルムが眉を寄せて拗ねた表情になる。それを見たクリスは、ふっと口元を綻ばせた。
「人に知られるわけにはいかないんだ。わかっているだろう?」
「ああ」
「だったら、今のうちに部屋へ戻りなさい」
「クリス」
「そんな風に私を呼んではいけない」
「でも…わかってるけど」
不満そうに答えると、クリスはアルムの額に口付けてくれた。
「…まだ終りにしたくないのなら、聞き分けてくれ」
一夜だけの戯れではないのだろうと、そう言ってくれている。嬉しそうに起き上がったアルムは、ぐっと兄の身体を引き寄せた。
「アルム」
「わかってるよ。でも、少しだけ」
深く口付けるアルムの唇に、仕方なくクリスが応えてくれる。舌を絡め唾液を混ぜあって、ようやく唇を離したアルムは、強く兄の身体を抱きしめた。
「俺が貴方を守るから」
「………」
「一生そばにいて、守ってみせる。愛してるよクリス」
囁くアルムの言葉には答えず、少しだけ寂しそうな顔で微笑んだクリスは「もう行きなさい」と繰り返した。今度は逆らわずに、アルムは身支度を整えて、忍んで来た時よりもいっそう周囲に気を配り、兄の部屋を出た。
第二王子である自分の部屋は、兄と同じフロアの西端。しかしアルムは身体中で叫び声を上げている歓喜に急かされ、自分の部屋を通り過ぎて、西側にある庭へ出た。
まだ太陽が昇り始めたばかりの時間に、人気はない。毎朝の議会には顔を出すよう言われているが、とてもそんな気にはならなくて。
アルムは浮かれ気味に、厩舎の方へ足を向けた。
どこへ向かおうかと考えながら歩いているとき、ちょうど前から男が一人、こちらへ向かって歩いてくる。
まさかこんな時間に人と出くわすなんて。向こうも驚いた顔をしている。そばへ歩いてきたのはウィルだ。
兄の親友、というだけではない強い絆を、昔から何度も見せ付けられてきた。
皇太子である兄と対等に話すウィル。幼い頃は自分も懐いていたが、欲しいものが同じだと気づいた時に、彼はクリスを挟んだ恋敵になった。(と、アルムは思っている)
「早いな、どうした?」
尋ねるウィルを見て、アルムはにやりと口元を吊り上げた。自分はこの男に勝ったのだ。
「あんたこそ…こんな時間まで仕事か?」
「これから戻って休むさ」
通り過ぎようとするウィルの腕を掴んだアルムは、高圧的な視線で彼を見つめる。
「言っておく事がある」
「なんだ?」
「兄上はもう、あんたのものにはならない」
「どういう意味だ」
「あんたのその、分不相応な想いは、もう叶わないってことだよ」
高飛車なアルムの言葉を聞き、僅かに眉を寄せたウィルは、アルムが歩いてきた先を見てもう一度アルムを見つめ、溜め息を吐いた。
「…そういうことか」
「そういうことだ」
やれやれ、と肩を竦めてアルムの手を引き離す。
「お門違いな牽制だな。俺にとってのクリスはずっと、一番大切な友人だ」
「なにを今さら…」
「こんな時間に出くわす意味を、少し考えたらどうだ」
言われて驚いたアルムは、ウィルがしていたのと同じように、彼が歩いてきた方向を見つめる。視線の先に賢護石の住む西館。
最近は少し距離を置いていたようにも思うが、確かに彼は昔から、レフに対して「貴方が好きだ」と言い続けていた。
「あんたもしかして、レフと?」
「口に出して言うほど、浅慮な人間じゃないんでね。…お前のことだから、無茶したんだろ」
「強引にしたわけじゃないぞ」
合意の上だと拗ねた顔をするが、ウィルは疲れた顔で首を振った。
「お前の部屋か?それともクリスの?」
「…兄上の部屋だ」
「わかった。女官たちが来る前に、顔を出してくる」
「なんでそんなこと」
「お前みたいな荒っぽいのに好き勝手されて平気なほど、あいつは丈夫じゃないだろ。御典医殿に診せたら終りだぞ。…俺が診てやるよ」
「別に好き勝手したわけじゃないけど」
いっそ積極的なのは、兄の方だった。しかしここでそんなことを言う必要はない。
「…反対、しないのか」
「してどうする。俺が反対したら止められるのか?そんな半端な気持ちじゃないんだろ」
「当たり前だ」
「先に言っておくが、俺はあくまでクリスの味方だ。あいつが少しでも嫌だと思っているなら、どんな手段でも講じるさ。しかしクリスが選んだことに、反対するつもりはない」
「ウィル…」
「いつか終わりにしなければならないことも、今後どれほどの重荷になるかも、あいつはちゃんとわかっている。…おそらく、お前以上にな。だったら俺は少しでもクリスが苦しまないよう、支えてやるだけだ」
「…うん」
「そのニヤけた腑抜け顔で朝議には出るなよ、アルム。クリスにもそう言っておく」
「ごめん」
軽く手を上げて、ウィルが宮殿の方へ去っていく。アルムは予定通り厩舎へ向かい、自分の馬を連れ出した。
茨道は覚悟の上だ。兄と一緒なら、どんな苦難も乗り越えられる。しかしそこに、ウィルも味方でいてくれるというなら、やっぱり心強い。
厩舎から一番近い御者の門を抜け、山の方へ馬を走らせる。しばらく行くと物見の塔が見えてきた。塔に詰めている兵士達は何事かと慌てているが、ただの散歩だと笑って彼らを制し、アルムは山上から朝焼けの美しい海を見つめ、王都ショアを見下ろす。
ここからなら、王都全体を見下ろすことが出来るのだ。中心には、クリスのいるラスラリエ王宮。
眩しい光に包まれた美しいラスラリエ。積年の想い人を手に入れて、敬愛する兄の友人に見守られて。
何も不安などなかった。
この美しい国に、兄ほど理想的な国王はいないだろう。政務にはあまり関心がなく、全て賢護五石任せの父より、兄の方がずっと国王に相応しい。
きらきらと輝く王都を眩しげに見つめる。
賢護五石と共にクリスティンが統治するラスラリエは、どれほど幸せな国になるだろう。たとえこの恋が終わっても、自分が彼の弟であることは、永遠に変わらない。生涯独り身を通すことにはなると思うが、だからこそずっと兄を護り支えていこう。
何もかもが煌いて。少しも不安などなくて。
あまりにも幸せだった。
……アンゼルムは行く先に待ち受ける運命など知らず、静かに世界中のどこよりも幸せな王国を見つめて、明るい太陽の光に包まれていた。