[Novel:07] -P:01-
高沢旭希(タカザワアサキ)は喜悦に震える手を握り締めていた。まだ興奮が冷めない。冷めないどころか、少しずつ頭が冷静になってくると、身体の方は抑えようもないほど震えてくる。
「は…ははは……」
抱いた。
抱いたのだ。
遠く、焦がれるだけだった存在を。絶対に手に入らないのだと、もう諦めたはずだった人を。
まだ信じられない。でも、これは現実だ。
いつも旭希を苦しめていた、虚しくなるだけの夢想などではない。ここは確かに旭希のベッドで、隣には愛しい人が眠っている。
視線を向けた。不安にかられ彼を見つめるのは、もう何度目だろう。ブランケットから覗く細い肩に触れ、彼が消えてしまわないことを、確かめた。
旭希と同じくらいの長身だというのに、どこもかしこも華奢に見える白い肌。少し青ざめて見える横顔は、こうして目を閉じていると、普段の印象が薄れて、造作の美しさばかりが際立つ。
だがたとえどんな表情でも、旭希が違えるはずなどない。もうずっと、焦がれ愛し続けていた人。
「ケイ……?」
囁きに身じろぐその身体は、何度見ても二階堂炯(ニカイドウケイ)の姿をしていた。彼はここにいて、旭希に乱された髪を額に張り付かせている。
現実なのだ。
彼を抱いたのは、叶わない想いだと諦めていた旭希にとって、奇跡以外のなにものでもない。
旭希が炯に出会ったのは、もう十年以上も前のこと。中学の入学式で彼を見たとき、旭希はこの世に一目惚れなどというお伽噺が、現実に存在するのだと知った。
当時の炯は美少年という称賛に値する小柄な少年で、けして染めてなどいないのに透けるような髪が茶色く、柔らかそうなクセ毛がゆるいウェーブを作っていた。
色の白い横顔に吸い寄せられ、不躾なほど見つめていた旭希を振り返り、ニコリと笑った顔は今でも忘れられない。
口元に浮かぶ笑みとはアンバランスなその視線が、旭希を貫いた。冷たいほどの視線。そこだけがまるで大人の男を思わせて、奇妙な違和感は旭希を不安にさせた。
捕らわれた、と。瞬時に理解した。
なにかに絡め取られたように足がすくんで、身動きができなかった。
もう二度と自分が、彼に出会う前の、何も知らず無邪気に立っていた、同じ場所へは戻ってこられないのだと思い知る。
残念なことに甘い誘惑は、ただ旭希だけが溺れたものだったのだが。
炯は驚くほど頭の切れる少年だった。賢いというよりも、勘が鋭く恐ろしいほど洞察力に優れていた。
自分が何を言い、何をすればいいのか、瞬時に理解する。
中学生の中に一人だけ大人が紛れ込んでいるような炯と、複雑な家庭環境に無理矢理大人であることを求められた旭希が、友人として気が合ったのは幸いだった。
とにかく、そばにいたいと思っていたから。
同じ高校に進学し、炯が関わった生徒会にも顔を出していた。役職もないのに生徒会室に現れ、黙々と作業を手伝う旭希に、炯は不思議そうな顔をすることもなく、さも当然だとでもいうように、仕事を頼む。
いつもふざけているくせに頼りになる生徒会長と、いつも真面目なくせに役職を嫌うその友人。
いっそ生徒会に入ればいいじゃないかと不思議そうな友人たちに、旭希はそんなものに興味はない、と言い続けていた。
――気が合うね、僕も興味のあることしかしたくないなあ。だって、つまらないことに手を取られるの、面倒じゃない?旭希がいいっていうんだから、いいんじゃないの。
そう笑っていた炯は、旭希が必死に彼を追っていたことなど気付かなかったのかもしれない。
いや、気付かせないようにしていたのだ。自分でも持て余していた狂おしいほどの欲情に、炯を晒したくなかった。自分でも、いつか冷めてしまうだろうと思っていたのだ。
その時に、友人としての炯をなくすことこそ怖かった。
炯が同じ男であることなど、考えるまでもない。出会った頃は美少年でも、いつか彼は旭希と同じように成長し、声も低くなれば身体の丸みも取れてくる。そうすれば、旭希の中に芽生えている幻想など、なくなってしまうはずだ。