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[Novel:08] -P:02-


 どうせまた、嫌味を言われるんだろうなと思って。ぼんやり目を開けた炯は、暗い部屋にふと違和感を感じた。
 ――あれ?珍しい……
 部屋を満たしていると思った、甘い香りがしない。炯の嫌いな、甘い匂い。いくらやめて欲しいとせがんでも、その人はブラックストーンという名前の甘い煙草をやめてくれない。
 紙巻シガーの甘い煙草。炯にはその煙がむせるほど甘ったるくて、いつまでも慣れることが出来ないのだ。
 最近では自動販売機で見かけるだけでも、彼の香りを思い出して眉を寄せてしまう。
 それを知っていてなお、嫌がらせのように炯より先に目覚め、炯の嫌いな煙草を燻らせているのがいつものパターンなのに。
 そんな嫌がらせも躊躇わせるほど、自分は情けない醜態を晒したんだろうか?……重い気持ちのまま、身体を起こそうと手をついて、また不思議な感覚に捕らわれた。
 ――シモンズじゃ、ない?
 糊のきいたシーツがぐしゃぐしゃになっているのはいつものことだとしても。この安っぽいスプリングのベッドは、あまりにも彼に相応しくない。
 高級ベッドの代名詞とされる、シモンズ社のベットが彼のお気に入りらしくて、連れて行かれるホテルも、彼の部屋にあるのも、記憶にあるのはいつだってあの、弾力があってふかふかと柔らかい、身体に吸い付いてくるようなシモンズのベッドだ。
 ブラックルストーンの甘い匂いと、ゆったり身体を受け止めてくれるシモンズが、彼の元で目が覚めるときの変わらない光景のはずなのに。

 広いベッドに座り込んだまま、ここはどこだとぼんやり考えていた炯に、冷たい声が浴びせられた。
「目が覚めたか」
 びくっと肩を震わせ、何度か瞬きを繰り返して、振り返る。腕を組んでベッドの傍らに立っているのは、炯が思い描いていた人とは違う人物。
「あ…さき…?」
 どうして?!
 自分を見下ろす高沢旭希(タカザワアサキ)の姿が信じられなくて、炯は表情を強張らせた。
 同じくらいの身長なのに、ひょろ長いだけの炯と違い、筋肉質な旭希は一回り大きく見える。さらりと真っ直に黒い前髪が、目にかかるほど長くて、切れ長の涼しい目元をいつもはさりげなく隠しているけど。仁王立ちに見下ろす今は、不機嫌な色を炯に見せ付けていた。
 黙って見つめる旭希は、炯の驚愕とした表情に失望する。全く予想外だとでも言いたげな、炯の顔。いまの彼には、ここがどこかすらわかっていないのだろう。
「なんで、旭希が…」
「ここがどこだか、わかってるか?」
「どこって…」
 混乱する頭のまま周囲を見回し、そこを旭希のベッドルームだと理解した炯は、自分の姿に驚き慌てて、ブランケットを引き寄せた。困り果てている炯に、無表情の旭希が携帯電話を投げつける。
「なに…?」
「謝らないとな」
「なにを…」
「携帯、見せてもらった。メール来てたぞ。確認しろ」
 旭希が勝手に自分の携帯電話を見たことを、不思議に思う余裕もなく。炯は言われるままそれを拾い、開いてみた。
 ファイルを展開させたまま閉じてあったのだろう。開いた途端、表示された画像に慌てて閉じる。
「あの人は…!」
 こんなタチの悪い悪戯をする人、他に思い浮かばない。
 いつ撮られたのかはわからないが、それが自分だということも、咥えているのが誰のものかも、疑う必要なんかなかった。
 おそるおそる、顔を上げる。
 苛立った顔で仁王立ちになっている旭希が、どんな経緯で炯の携帯電話を勝手に見たのかは知らないが。全てを知られたのだけは確かだ。
 誤魔化す言葉も思い浮かばなくて、炯は肩を落とし項垂れた。一番大切な友人である旭希にだけは、こんな醜態、知られたくなかったのに。
「目が覚めたら思ってる相手じゃなくて、悪かったな」
 かわいそうなほど落ち込む炯を見下ろして、旭希が言い放つ。しゅん、と下を向いている炯を見ていると、残酷な気持ちが治まらない。
「どうせ覚えてはいないんだろうが、電話をかけてきたのはお前だ」
「………」
「寝かせてやろうと思ったら、しがみついて離れなかったんだよ。抱いてくれって言うから、抱かせてもらった」
 淡々と教えてやる。
 傷つけばいい。旭希は暗い欲求に突き動かされていた。勝手に有頂天になった自分が傷ついたのと同じだけ、炯も傷ついてしまえばいい。
「男に抱かれて悦ぶ趣味があるとは、知らなかったけどな」
 顔を上げた炯は、睨み付ける旭希に怯えるような顔をしていた。そうして、小さく「悪かった」と呟く。
「…何に対する謝罪なんだ?」


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