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[Novel:08] -P:05-


「だったら!」
「そうなんだけど…なんかねえ」
 ここからの話は、炯自身にだってよくわからないのだ。
 どうしてこんなことになっているのか……考えれば考えるほど、流されているだけの自分が情けなく思えてくる。
「なんていうか、とくに酷いことされるわけでもないんだよね。まあ急に呼び出されたり、いくら言ってもセックス強要されるのは困るんだけど。普通にメシ奢られて、ホテル連れてかれて。本当に、よくわからない人なんだよ。僕なんなんですかね?って聞いたら、愛人だろうなんて笑ってるし」
「炯…」
「最初は焦ってたし警戒してたんだけど…だんだん、どうでも良くなってきて。彼の方も、劇団やまどかのことで脅したりしなくなって。抵抗しないから少しぐらいは僕の都合も考えてくれませんか、って言ってみたら…拉致るみたいに連れて行かれることも、なくなったんだよね…」
「…………」
「そしたら結局、お互いに都合のいい相手になっちゃってて…なんか、そのままずるずると…」
 旭希は真っ青な顔で見下ろしていた。
 そんなことで、何年も?炯を愛している旭希を嘲笑うかのように、男に抱かれていたとでも?
 冷静に努めようと思うのに。旭希の思考は、しだいに怒りで回らなくなる。
 炯の話す関係は、まさしくただの愛人だ。男に呼び出され、食事をしてホテルについていくなんて。その辺の援助交際となにが変わらない。
「反省は、してるよ」
「…なにがだ」
「だから…こういうの、マズイとは思ってるんだよ。いい年して何してるんだろうって、自分でも思うんだけど。やっぱり女の子と付き合えば、それなりに面倒なこともあるだろ?酷いことしたくないし…面倒とか言ってる時点で、酷いんだけどさ」
「…お前は今でも充分、酷い奴だよ」
 言い捨てる旭希に、炯は今までのツケを感じる。流されるまま溺れた、快楽の代償は思った以上に大きくて。一生そばにいて欲しかった友人を、失うかもしれない。
 口から零れた笑いは、随分と乾いたものだった。
「ははは…そうだね」
「残酷だ」
「…?旭希?」
 責める言葉の低いトーンに、どうしたんだと旭希の顔を覗こうとした炯は、強い力で腕を押さえられ、ソファーに押し付けられた。
「なに…?」
「残酷だろ、そんなの。なんでそんなこと、平気でオレに言える…」
「ちょ、旭希?!どうし…!」
 いきなり唇をふさがれて、炯は目を見開いた。もう酔っているわけじゃない。旭希がこんな辛そうな顔で、自分に口づける意味がわからない。
「待て、ちょ…んっ…!」
 落ち着け、と暴れる炯の身体は、旭希の下に押さえ込まれていた。無理矢理メガネを外され、強引に唇を割られる。
「んっ、っ…ふ、やめっ…!」
 差し込まれた舌に驚いて、身を捩ろうとするが許されない。熱っぽく舌を絡め取られて、何事なんだと混乱する炯は、強く旭希の背中を叩いた。
 ようやく顔を上げた旭希は、炯の濡れた唇を指で拭う。わけもわからずされたキスに、うっすら涙を浮かべている炯は、旭希がずっと大切にしていた人。
「愛してる」
 震える声で囁いた。
「旭希…?」
「愛してるんだ、炯」
「何を言って…」
 ずっと堪えていた言葉が、堰をきって溢れ出す。一度口にしてしまったら、止まらなかった。
「ずっと愛してた。会った日からずっとだ!」
「あさ…き…?」
「オレは、お前しか見てない!お前しかいらないんだ!愛してるんだ炯!わかれよ。わかってくれ…愛してる、炯…炯…」
 熱に浮かされたような言葉に、炯の身体がかあっと灼かれた。一瞬にして身体を貫いていった感覚が、恐怖なのか歓喜なのか、炯自身にもわからない。長い間自分のそばにいてくれた親友が、まるで別の人間になってしまったような感覚。
 ただ、それしか知らないかのように、炯の名前を呼び続ける旭希の、瞳に写るぼんやりとした狂気。
 炯の中でせめぎあっていた感情の色が、一気に恐怖へと色を変えた。
 思わず旭希の身体を突き放す。
 立ち上がり、ソファーを離れる炯に、旭希はいまだ冷めない熱っぽい視線を向けていた。炯の身体は、自分でもわかるほど震えている。
 拾い上げたメガネをかける炯は、何度も自分に落ち着けと言い聞かせるけど。混乱は。少しも治まる気配がない。
 信じたくないのは、変貌した旭希よりも、それに怯える炯自身。大切な旭希を、恐いと思う自分こそ、信じられない。
 必死に思考を巡らせる。旭希の中に、自分の知っている優しい男を、探そうとでもいうように。


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