[Novel:10] -P:05-
手渡されたのは、小さな花束。いや、花束というか仏壇の前に供えるあれだ。旭希も慌てて立ち上がった。
「行ってきま〜す」
ひらひら手を振って店を出て行く炯を、頭を下げた旭希が追いかける。
店を出て二三歩歩き、炯が立ち止まった。
「ご感想は?」
「…驚いた」
「中野さんに?親父さんに?」
「…両方」
眉を顰める旭希の腕を取って、炯は人目も気にせず歩き出す。
「佐久間さんはね、この辺では伝説の大親分なんだよ」
「なんだよそれ…」
「最初、佐久間さんが現れたときは、ヤクザが来た!って大騒ぎだったんだって。でも佐久間さんは気さくな男前だし、話がわかる人で、しかも悪い噂一つ立てなかったから。人気が上がったんだよ」
「………」
「ヤクザも上の人は違う、とか。この辺歩いてると結構耳にする。知らなかったでしょ?」
「知るわけないだろ」
「旭希だって、噂になってんだよ。いつも怖い顔して歩いてるから」
そのせいで中野さん声かけられなかったんじゃないの、と。くすくす笑う炯は、ぱっと旭希の腕を離して駆け出した。行き先は、10mと離れていないタバコ屋の店先。
「ハルノさ〜ん。お届けものですよ〜」
「…今度はタバコ屋かよ…」
まるで町の配達屋。
ケーキ屋から預かったシュークリームを花屋に、花屋から預かった仏花をタバコ屋に。しかも炯を頼る彼らは、ここ最近のはずの付き合いの中で、どんないきさつがあったのか。旭希から見る限り、相当無防備な笑顔を炯に向けている。
人の心にふわっと入り込む炯を知ってはいたけど。こんな風に見せ付けられるのは、学生時代以来だ。…高校の頃、学年主任の相談相手が炯だったのは、同級生でも有名な話。
ゆっくりした歩調で追いついた旭希は、タバコ屋のカウンターから身を乗り出して中を覗き込んでいる炯の隣に並んだ。
「今度は何を預かるんだ?」
「何って、何も預からないけど…ああ!」
「な、なんだよ?」
「ぶれんど!こんなところにいたのか」
炯の指さす先。自宅になっているらしい店の奥から出てきた老婆が、キジトラのまるまる太った猫を抱えている。気のきつそうな老婆は旭希の顔を見て、眉を顰めた。
「ふん、佐久間の息子か」
明らかな反発の声。聞きなれた嫌味に、旭希は顔を強張らせた。
「…どうも、お邪魔します」
「お前もヤクザをしとるのか」
不躾なくらい厳しい問いかけに答えたのは、ぎゅうっと身体を萎縮させる旭希ではなく、相変わらずにこやかな炯の方だった。
「してるわけないでしょ。旭希はマジメな公務員さんですよ」
「…ならええ。お前は父親を見習わんことだ。どんな大人物でも、ヤクザはヤクザじゃからな」
店先に腰を下ろし、いまだ起きないでいる猫を膝へ置いた老婆は、手を伸ばして「ええ子じゃ」と孫を撫でるように旭希の頭を撫でてくれた。
母は佐久間の子を産んだときから勘当されている。父の両親に会ったことなどあるわけない旭希は、そんな扱いに慣れていなくて。照れくさいし、どうしていいかわからない。
「どうしたんじゃ、この子は」
「照れてるんですよ。慣れてないから」
「炯っ!」
「なんじゃ、それでも佐久間の子か。しっかりせいっ!」
「どっちなのハルノさん…」
「同じじゃろ。佐久間はええ男じゃが、仕事がいかん。親分なんぞと言われておっても、ごろつきを飼っておるなら同じことじゃ」
手厳しい言葉を聞きながら、炯は旭希の腕を引いて数歩下がる。
「旭希、この店なんか気付かない?」
「なんだよ…またオレの知ってる場所か?」
「違う違う。見た目だよ。僕が最初気になったの、この店の外見なんだけど」
わかんないかなあ、と呟いた炯は店先のカウンターに背を向け、両手を拡げて見せた。
「普通のタバコ屋より、広いんだよ」
得意げに言う炯が両手を拡げても、まだ広い。タバコ屋の店先なんて、普通は1メートルほどなのに。ここは倍以上あるのだ。そういえば、と旭希も納得した。
「大工だった旦那さんがね、ハルノさんのために手作りで作ったんだってさ」
店の奥で、老婆が花を供えている。大抵、仏壇といえば奥の仏間にしつらえるものだが、この店では店頭に座る老婆の、手の届くところにあるのだ。
花を供え、りんをそっと叩く老婆は静かに手を合わせた。カウンターのこちら側で炯も手を合わせ、目を閉じるから。旭希も隣に並んで、二人に倣う。
「…物凄いロマンスなんだよ、二人」
目を開けた旭希は、炯を見つめた。柔らかい表情。きっと、炯はなんなく老婆から古い話を聞きだしたのだろう。人が話したがる言葉だけじゃない、炯は話そうとしない言葉まで引き出してしまう。ゆっくりと、なんでもないことのように。
旭希が口を開きかけたとき、炯の携帯電話が鳴った。ごめん、と一言呟いて耳に当てる。
「はい二階堂。…森永(モリナガ)?うん、今ハルノさんとこ。…ええ?!ちょ、お前ね!…そんなこと言っても…あ〜もう!わかったよ。伝えるから待て!待てって!」