[Novel:10] -P:06-
うんざりした顔で、ハルノに向き直った。
「ハルノさん、森永が注文お願いって」
携帯電話片手に、やっぱりまた何かを頼まれてしまっている。旭希は笑いを禁じえない。
「はい、どうぞ。…数を先に言えよ!…ハルノさん、全部五個ずつで…セブンスター、マルボロ赤…マイルドゼブンスーパーライトと、ルーシア…キャビンスーパーライト…以上?…以上だって」
タバコを吸わない旭希には、暗号にしか聞こえない言葉を聞きながら、老婆はてきぱきとカウンターに商品を並べていく。
「…わかったよ。10分もあれば見つかるでしょ。はいはい。じゃああとでね」
ぶつぶつ言いながら携帯電話を切る炯の横、旭希のほうへハルノが袋を差し出した。
「ほれ」
「あ、ああ。はい、お預かりします」
「当たり前じゃ。惚れた相手の荷物は、持ってやるもんじゃろ」
にやりと笑われて、旭希はかあっと赤くなる。
「なに赤くなってんの」
「な、なにってお前…」
「じゃあね、ハルノさん。森永には届けておくから。ぶれんども、ここあ父さん達が心配する前に帰るんだよ〜」
手を伸ばし、猫を撫でる炯は平然としたものだ。老婆に手を振って、旭希の腕を掴み歩き出す。辛うじて頭を下げ、引きずられるように歩き出した旭希は、まだ整理がつかない。
「おい、炯っ」
「ん〜?」
きょろきょろと、なにかを探してあたりを見回す炯は、本気で焦っている旭希をわかっていない様子だ。
「何で知ってんだ、彼女」
「なんでって…みんな知ってるよ。僕、旭希と同棲してるって言ってあるし」
「同棲ってお前…!…みんな?!」
「そうだよ。今日、旭希が会った人たちはみんな知ってるけど?」
「中野もか?!」
「当たり前でしょ。なんか問題でもあるの」
足を止めた炯は、きょとんとした表情で振り返る。確かに普段から、誰にバレても気にしないと言っているのは旭希の方だ。だからと言ってまさか、こんなナチュラルに周囲が自分たちのことを知っているとは思わなかった。
「…あれ、マズかった?」
立ち止まる旭希の顔を覗き込んで、炯が心配そうに眉を寄せるから。仕方ないと溜息をつき、少し赤くなったままの顔を上げる。
「いや、驚いただけだ」
炯がいいなら、構わないだろう。
「お前こそいいのか?顔が売れてるのはお前の方だろ。仕事に差し支えないか?」
「別に。差し支えたら、その時はその時でしょ。前のことで懲りてるから、変な隠し立てしたくないんだよ。僕はもう、自分の大事なものが何か、間違える気はないからね」
苦笑いを浮かべる炯は、そのままくるりと踵を返してまた何かを探している。
炯は結婚していた当時、それを隠したがために、スキャンダルを回避できなかったことがある。しかもそのスキャンダルは離婚の一因になっていた。隠していたのは炯の希望などではなく、周囲の要望だったのだが。確かにあの時、妻や娘の存在を公表していれば、結果が違っていたかもしれない。
旭希はにやけている自覚があるので、口元を手で覆った。
……大事なものを、間違えたくないから。
だから炯は、旭希のことを隠したりしないと言うのだ。
「あ〜〜…もう。なんでそんなトコにいるの。アンナさんってば…」
何かを見上げ、げんなり呟く炯の横に並んだ旭希が、そっと細い手を引いて軽く口づけた。唇に触れただけですぐに離したが、炯は真っ赤になっている。
「〜〜〜っ!なにやってんの?!」
「何って。いいんだろ別に?どうせそこいらじゅう知ってるんだろうが」
「バカ言うな!知られていいとは思ってても、見られていいとまでは言ってないよ!」
「そうか。じゃあこれからは気をつける」
「反省が足りないっ!」
「わかったわかった。それで、次は何だって?」
むーっと不満そうな炯が指さす先には、真っ白な猫がまったく手の届きそうにない自動販売機の上で、丸くなっていた。
「さっき電話してきた森永のとこの、アンナさん。連れて来いって言われたんだよ」
「連れて来いって…ちょっと遠いな。お前、コレ持ってろ」
渡したのは、ハルノに頼まれた袋。
すでに平然とした様子の旭希の横で、自分だけ赤くなっていることに気づいた炯は、手の甲を頬に押し付けた。冬の寒さに冷たくなった手が、少しずつ紅潮をおさめてくれる。
周囲を見回し、旭希は自動販売機の隣にあったポストに手をついて、その上へ乗り上がった。
「何してるの」
「捕まえるんだろ?まさかお前、こいつが降りてくるまで待ってるつもりか?」
「そうじゃないけど」
呆気にとられる炯の目の前で、ポストの上に立った旭希は手を伸ばし、白猫を抱き上げる。
「…結構重いな、こいつ」
人見知りをしないのか、おとなしく抱かれている白猫を見て、旭希が呟いた。
「レディに失礼だよ旭希。アンナさんは、そのスタイルが一番似合ってるからいいの」
「お前、そうやって女口説いてたのか?」
「悪いけど、僕は自分から女の子口説いたことなんかないよ」