[Novel:10] -P:08-
「そうだね…旭希は、佐久間さんからそのファクターを外せない?」
「………」
「佐久間さんは、生まれたときからヤクザだったわけじゃないよ」
「和解しろとでも?」
冗談じゃない、と眉を寄せて旭希が吐き出すから。炯は手を伸ばし、旭希の頬に触れる。
「そうじゃないよ。そうじゃなくて…。旭希が、誰も家族なんかいないって言うの、聞いてて辛いんだ」
それは、旭希が口癖のように言う言葉。
自分は一人で、母親を見送ったのだから、もう家族などいない。だから誰にも迷惑をかけないんだ、なんてこと。
「炯…」
「旭希には、佐久間さんも佐久間さんご両親もいる。ママさんのご両親だって、毎年ママさんのお墓に来てるって言ってただろう?…旭希は一人なんかじゃないよ」
ゆっくり身体を起こし、炯は旭希の足を跨いで座った。首筋に手を回して、旭希の長い前髪をかきあげ、額に口づける。
「僕だって、いるよね?」
「…ああ」
「今日明日のことを、言ってるんじゃないよ。僕はさ、奥さんと結婚した時も、まどかが生まれた時も、家族が出来たことに有頂天だった。でもあの時、旭希が今と同じように自分は一人だって、思ってたのかなあって考えるたびに、たまらなくなるんだ。…もう取り返しはつかないんだけど。僕は先に死んだりしないよ、なんて。約束できないからね」
「何年先の話だよ」
苦笑を浮かべる旭希に、炯は悲しそうな顔で笑う。
「何年後だろ。何十年も先かな…。でも、明日かもしれない」
「炯っ」
少し怒ったように言うけど。炯はふわりと微笑むだけで、撤回したりはしなかった。
「誰にもわからないよ。そのときでもいい。旭希には家族がいること、思い出して」
「………」
「誰でもいいから。どうしても嫌なら、佐久間さんじゃなくてもいい。でもどうか、思い出して。一人になったなんて、言わないで欲しいんだ」
「……。どうしたんだよ」
ぎゅうっと眉を寄せる旭希は、炯を見上げている。まるで明日にでもいなくなってしまいそうな言葉だ。
「ん?」
「何でそんなこと、急に言うんだ」
「急じゃないよ。ずっと思ってた。…聞いてもらえる機会があったら、すぐにでも言いたかったよ。僕はね、旭希。今日と同じように明日が来るなんて、信じていないんだ。だからこそ明日が平穏な一日なら、それは奇跡のような出来事なんだよ。毎日を自分に刻み付けて、かっこ悪いくらい必死に生きていたいと思ってる」
炯は生まれつき身体が弱く、幼い頃は入退院を繰り返していた。幼少時代は家にいるよりも、病院にいるほうが長かったくらいだ。
今の炯からは想像もつかないような過去だが、毎日のように誰かが死に、生まれる場所でたくさんのことを学んだ。だからこそ、炯は忘れたくない。自分がここにいることを、当然だなんて思いたくない。
「今日と同じ明日を迎えられなかったとき…君を一人にするかもしれないと思って、どれほど不安になるか…わかる?」
冗談じゃないからね、と肩を竦めて見せる炯の髪を、旭希は愛しげにかき上げた。目を細めた炯は顔を寄せ、旭希の唇を舐める。…ふいに眉を寄せた。
「…甘いよ。なんか食べた?」
「さっきココア飲んだな。嫌か?」
甘いものは、嫌い。
甘いキスなんて、とんでもない。
せっかく旭希を選んだのに、甘いキスはどうしても炯を不安にさせる。……あの、甘い煙草を思い出してしまう。
ふるっと頭を振った。終わったことを、思い出す余裕なんかないはずだ。今を必死に生きると言ったのは炯自身。
「いいよ、甘くても…」
だから、と。炯は旭希の唇を指先でたどる。深く口づけた旭希は、うっとり瞳を閉じる炯を抱き上げた。
途端に炯は、嫌そうな顔をして。
「あのさあ…」
「なんだよ?」
「これ、やめようよ。自分が情けなくなってくる…。そりゃ、旭希のほうが力があることは、認めるけどさ」
「いいだろ、これくらい。他はお前のワガママ、聞いてやってるんだから」
「旭希っ」
そう変わらない身長の炯を軽々と抱き上げたまま、旭希はベッドルームに向かって歩き出した。
「すぐに下ろしてやるよ」
「自分で歩くって」
「酔っ払ったお前を、何度こうして運んだと思ってんだよ」
「今は理性があるんですっ!」
「はいはい。文句言ってる間に、着いただろ?」
「む〜〜……」
「とっととドア開けてくれ」
ベッドにたどり着いてしまえば、縋る手を離さないのは炯のほうなのだから。
熱い、と身を震わせて、炯が髪をかきあげた。こうして炯を抱くのはもう何度目か知れないのに、いまだに旭希は軽い感動を覚える。