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[Novel:09] -P:02-


「言って欲しいです」
「そうか」
「僕の方が大事だって、言ってみて下さいよ」
「仕事だ」
 きっぱりとした返答に、炯はにやりと笑った。楽しそうな表情に、鷹谷の方も苦笑いを浮かべている。
 この手の会話は、いつもお遊びだ。自分たちの関係に相応しくない言葉を探し、ぶつけ合う。
 本気ではないからこそ言える言葉なのに。……今日だけは、炯の胸にじくりと突き刺さった。
 棘のありかを知ってしまったら、笑う顔が続かない。笑っていられないと、楽しい気持ちが飛んでしまう。
「…わかってますよ」
「なんだ?」
 いつものお遊びに、炯が暗い声を出すから。浅く焼けた首筋を晒していた鷹谷は、探るように炯を見た。そうしてどんな答えを見つけたのか、大きな手を差し伸ばしてくる。
「来い」
 傲慢な言葉に応じて、炯はタバコを灰皿に押し付けると、おとなしく立ち上がった。
 自分のこういうところが、旭希を傷つけるんだと、自覚はしているのだけど。鷹谷の深い視線に絡めとられ、先回りした言葉を投げられると、どうしても拒めない。
 炯の冷たい指先が、鷹谷の大きな手に触れた。強い力で引かれる。転びそうになりながらも、鷹谷に導かれるまま炯の細い身体は捕らわれた。
 男だとは思えないほど軽い身体を自分の足に座らせ、鷹谷は炯の耳朶を甘く噛む。
「ん……」
 肩を竦め、吐息を漏らした炯は、無意識のまま鷹谷の首筋に腕を回していた。
「送ってやった写真は、使わなかったのか?」
 いやらしいくらいの低い囁きに、炯の身体がひくりと震える。囁きを落とした形のいい耳に触れ、ゆっくり首筋までたどっていた鷹谷は、それに気付いて手を止めた。
 女がつけたとは思えない、赤い痕。
「…必要なかったようだな」
「……?」
「楽しんだんだろう?」
 肌理の細かい炯の首筋を撫で、わざとその刻印の上に吸い付いてやった。不義を責めるというよりも、面白がるような鷹谷の声に、炯は慌てる様子もない。鷹谷相手にこんなことで、慌てる必要などないのだ。
 そのかわり、鷹谷をじとりと睨みつける。
 まるでこちらの方が不義を訴えているかのような視線。
「あなたがあんなことするから、余計に話がややこしくなるんですよっ」
「あんなこと?」
「だから、あんな写真…」
「どんな写真だ?」
 わかりきったことを聞かれ、思い出したのか、かあっと赤くなった炯に、鷹谷はふっと笑った。
「馬鹿な奴だな」
「何が?!」
「見られたんだろう?」
「いつの間にか見てたんだから、仕方ないじゃないですか!」
「同じことをしてやれば良かっただろうが」
 悠然と笑う鷹谷が、炯の唇をゆっくりなぞる。ここを使って、そいつも慰めてやれば良かったのに。
 炯はいっそう赤くなった。
「僕にあんなことさせて喜ぶの、あなただけですからッッ!」
 ヒステリックに喚いて、鷹谷の首筋に齧りつく。炯の必死な仕返しなど、子猫に引っ掻かれたくらいにしか感じないのか、鷹谷は痛そうな顔も見せずに面白がるばかりだ。
「なに笑ってんですか!」
「可笑しいからじゃないか?」
「他に言うことがあるでしょうが!いつ撮ったんですあんなもの!」
「いつだったかな」
「まさか他にもあるんじゃないでしょうね?!」
「さて」
「さてじゃないですよ!悪趣味にもほどがあります!」
 ひどいひどい、と八つ当たる炯の姿は、まるで遅い帰宅にじゃれついて離れない、子犬のようだ。口先では鷹谷を詰っているくせに、抱え上げられている膝の上からは下りようとしない。
 ひょいっとメガネに指をかけて取り上げてしまうと、その下からはきれいな顔が姿を現した。ふと鷹谷は眉を寄せる。淵の茶色い、色の薄い瞳は、煩い口の割りによほど疲れているのか、ぼんやりと滲んでいるように見えた。
「…寝ていないのか?」
 唐突に聞かれ、炯は少し驚いた顔をして。ふうっと溜息をついた。
「…あんまり」
「いつここへ来た?」
「昨日の、昼前かな…」
 旭希のところを飛び出して、ここへ逃げ込んで。それからずうっと、とりとめもなく考えているうちに日付が変わり、太陽は一回りしてしまった。
 相変わらずの炯に肩を竦めた鷹谷は、テーブルの灰皿にタバコを押し付け、炯の髪を撫でてやる。細く柔らかい髪は、さらさらと手触りがいいくせに、ゆるくウェーブがかかっているせいで、鷹谷の指に絡み付いてきた。


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