[Novel:09] -P:03-
気持ち良さそうに目を細めていた炯は、鷹谷の首筋に回していた腕をずるずる縋らせて、身体を近づけていく。
回した腕に頬を乗せ、手持ち無沙汰の指先で、鷹谷の硬い髪を弄ぶ炯が、誘う気もなくやっていることを、鷹谷はわかっていた。こんなことをしているとき、大抵炯の心はここになくて、ふわふわ何かに捕らわれているのだ。
そう、炯の思考を占有しているのは、旭希のこと。こんな状態で、ここにはいない男を思うなんて。タチが悪いにもほどがある。
「……鷹谷さん」
「なんだ」
「聞いてもいいですか?」
「答えられることならな」
他に気が向いているのは承知のことなのだから、鷹谷の方も構わず炯の身体を探っている。
「…僕なんか抱いて、楽しいですか?」
ざわつく身体を押し留め、ぼそりと呟いた小さな声。
鷹谷の手が止まった。そうして自分に回されている腕を外してしまうと、困ったような表情の炯を覗き込む。
「どういう意味だ」
「だって…女の子みたいに柔らかいわけでもないし、小さくて可愛いわけでもないでしょ?」
「当然だろう」
「どうせ抱くんだったら、そういう子の方がいいじゃないですか」
今まさに自分の身体を抱き上げている男に対して、随分と失礼な言葉だと思うのだが。溜息をついた鷹谷は膝から炯を下ろして、テーブルに置いてあったタバコを取り上げた。黙って言葉を待っている炯は、いつもなら煙が甘いと煩く咎めるくせに、こんなときに限って何も言わない。
鷹谷は下ろされたまま自分の足元に座って、視線を上げている炯を見つめる。上目遣いの彼は、いまどれほど自分が艶めかしい表情で男を見上げているかなんて、わかっていないのだろう。
炯が良く使う言葉だ。
自分なんか、という言葉。
彼は自分の才能やセンスを充分に自覚している。脚本家としての二階堂炯は、己を過小評価することも、過大評価することもない男だ。なのに、個人としての自分のことになると、急にこんなことを言い出すのだから。
自分には舞台人としての魅力しかない、と。炯は本気で信じている。日本人離れした白い肌や、整った顔立ち。ほっそりとしたしなやかな体つきなどには、何の関心も示さない。あまつさえ、自分で自分のことを「性格が悪い」などと。本気で考えているのだから、始末に終えない。
鷹谷は炯に黙っているが、出会ってからの炯の舞台は可能な限り見ている。炯を取り巻く仲間達が、彼の才能だけに寄り集まっているなんて、本気で考えているのだろうか?他人のことならどこまでも聡いくせに、こういうところがあまり鈍くて、だからこそ可愛いと思うのは鷹谷だけではないだろう。
まっすぐな心を持っている炯は、確かに弱いところもあるけど。頼り切って見上げてくる視線は、大概の男を篭絡させるだけの艶を備えているのに。
うんざりして、甘い煙を吸い込んだ鷹谷は、すうっと高く天井に向け、吐き出した。
炯を抱いて、楽しいか?そんなもの。答えるまでもない。けれどそれはきっと、炯の求めている答えじゃないから。
「…抱くだけならな」
嫌そうに呟いた鷹谷を見上げ、炯は首を傾げている。
「?…抱くだけ、なら?」
「別に突っ込んで出すだけが、セックスというわけでもあるまい?」
いやに似合わない下品な言葉を吐き出すくせに、随分とロマンチックなことを。炯は唖然とした顔で、鷹谷を見つめた。
「…意外なこと言いますね」
「そうか?」
「あなたがそんなこと、言うなんて」
「解釈によるな」
別に鷹谷が特別なことを言っているわけではないだろう。炯がその容姿や職柄を裏切って、あまりにも色事に鈍感なだけだ。
……そうして、誰かを大切に想うことを知っている人間が、繊細に出来ているだけ。
炯はしばらく考え込むような表情を見せ、ぱっと顔を上げて鷹谷の足に手を乗せた。
「じゃあ、他に何があるんですか?」
「…何?」
「柔らかくも可愛くもない僕の身体には、何か抱くだけの価値があるんでしょう?突っ込んで出すだけじゃない理由。それ、教えて下さい」
「断る」
即答。
「えええっっ?!」
なんでなんで?!と駄々を捏ねる炯は、じろりと鷹谷に睨まれる。迫力のある視線に、思わずうろたえた。
「…な、んですか?」
「そもそもお前は、誰の話をしているんだ」
自分なんかを抱いて楽しいのかとか、女の方がいいんじゃないのかとか。そんなもの、鷹谷とは随分前に済んだ話のはずだ。
炯は迂闊な自分の発言に気付いて、黙り込んだ。
「炯」