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[Novel:09] -P:06-





 猶予なく二度もイカされ、荒い息をついて何事か落ち込んでいるらしい炯の顔を上げさせた鷹谷は「携帯を出しなさい」と囁いた。
「けい、たい…?」
 ぼうっと視線を上げる炯が、溜息をついてダイニングテーブルを指さした。

 いつもなら、こうして抱かれたあと、頭の中を切り替えることが出来るのに。さすがに今日は、いっそう暗く沈む気持ちが浮上しない。
 愛していると熱烈な告白をされた日に、またこんなことを繰り返しているなんて。情けないにも程がある。
 
 炯を自分の上から下ろし、振り向きもせずダイニングへ歩いていく鷹谷の背中を眺めながら、乱された服を適当に整えた。
 なにかもう、疲れ果ててしまって体のどこにも力が入らない。
 ソファーの上で一人膝を抱えた炯は、夜の闇で鏡のようになったガラスを見つめていた。映っている自分が、まだ快楽から覚めていない目をしていて、いっそう気を塞ぐ。

 こんな炯を知ってなお、旭希は同じことを言えるんだろうか。だとしたら、どうして?
 ……鷹谷は身体を繋ぐだけが、セックスではないというけど。二人の言うことが、炯にはよくわからない。
 一人の作家としてなら、そういう台詞も理解できるのだ。でも、自分に向けられた言葉の真意が掴めない。
 こんな流されやすくて、一時の快楽の為に二人を振り回している、自分のような人間に。彼らがそんな、熱い言葉を向ける理由。

 炯は顔を上げた。テーブルに、置きっぱなしのキンクレイス。たった17年で閉鎖された蒸留所の酒は、希少価値のせいで想像もつかないほど高価だと聞いていた。
 飲んでみたいと言ったことは覚えていたが、あんなもの。酔っ払いの戯言なのに。わざわざ鷹谷は、炯のために取り寄せてくれたのだろうか?
 ダンカンテイラー社の黒いラベルを眺めて、だるい手を伸ばした。口を付けてみる。悲鳴に枯れた喉へ流し込むと、強いアルコールに焼かれたような痛みが走った。
「喉を痛めるぞ」
 飛んできた言葉にそちらを向けば、鷹谷はダイニングテーブルのそばで炯の携帯電話を開いていた。忠告に耳を貸さず、再びボトルを傾ける。
 デリケートな味は香りを裏切らなくて、美味しいけど。今の炯には複雑な味だ。
 快楽の熱が冷めてしまった肌に、思い出したような寒さがしみる。人肌が恋しくて、視線も上げないまま、鷹谷に話しかけた。
「美味しいですね…」
「そうだな。持って帰るか?」
「…どこに?」
 皮肉げな言葉を返す炯のもとへ帰ってきた鷹谷は、携帯電話の操作をやめずに、ぽんぽん、と優しく炯の頭を叩いた。慰めてくれるんだろうかと甘えて、鷹谷の足に寄りかかる。
「…言っときますけど、例の画像は消してありますよ」
「構わん、私の携帯には残っている。欲しかったらいつでも言うといい」
「とっとと消して下さいよ…」
 嫌そうな声に、にやりと笑った鷹谷はアドレスから誰かの番号を呼びだし、通話ボタンを押した。
「…誰にかけてるんです?」
 ぼんやり見上げる炯のうつろな声に、鷹谷は沈黙を促すしぐさで笑っていた。

 携帯は、すぐに繋がった。もう深夜だというのに、相手はずっと炯からの連絡を待っていたのだろう。それなのに、何も言えないでいる。鷹谷はくすくす笑い出した。
『誰だ?!』
 炯ではないと気付いた、不審そうな声。
 漏れ聞こえた声に、炯が目を見開いた。
 ――旭希?!
 慌てて携帯電話を取り上げようとするのに、鍛え上げられた鷹谷に抱きすくめられると、炯では身を捩ることすらできない。
「…旭希さん、私がわかりませんか」
 その言葉にぎくりと固まったのは、炯だけではないだろう。
『誰だ……』
「昨日、懐かしい名を聞いたんでしょう?」
『タカヤ…?たかや、しんじ?!』
「覚えていていただけて、光栄だ」
 旭希はきっと、思い出したくもない名前に驚愕して、声も出せないでいるだろう。
「炯は私の元にいます。会いたければ、ここへ来なさい」

 明朝、橘(タチバナ)を迎えに行かせる、と一方的に約束を取り付け電話を切った鷹谷は、改めて自分の携帯から、秘書である橘に電話をかけた。
「私だ。オヤジの息子、知っているな?そうだ。高沢旭希。明日の朝、迎えに行ってくれ。…ああ、早い方がいいだろう。どうせ、寝られるはずがない」
 いやに楽しげな声で命じた鷹谷は、ローテーブルに携帯電話を置いた。
「久しぶりって…」
「最後に会ってから、もう十年か」
「知り合い?!」
「そうなる」


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