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[Novel:09] -P:08-


「なんのつもりだ」
「別に?ちょうど入ったから、あなたも飲みますかと聞いただけですよ」
 慇懃な言葉は、旭希が彼を佐久間の部下だと知らなかった頃から変わらない。
「ふざけるな!」
「そう息巻くこともないでしょう。飲まないなら、構いませんよ」
 サーバーから二つのカップにコーヒーを注ぎ分けた鷹谷はゆっくりと炯に歩み寄り、さも当然のような顔で片方を差し出した。炯は旭希を振り返り、溜息をついてそれを受け取っている。
「あんまり、旭希のこと苛めないでくださいよ…」
「私が?心外だな。私は過去一度として、旭希さんを苛めた記憶などないが?」
「そういう物言いが、旭希を傷つけること。わかっててやってるんでしょうが」
「さてね」
 炯のそばでカップに口をつける鷹谷に、旭希の中で嫉妬が膨れ上がる。二人の様子は、まるでいつもそうしていることがわかるほど、自然で穏やかだ。
 旭希の気持ちを察したのか、炯は無言で立ち上がった。そのまますたすたと鷹谷の元を離れ、旭希に近いソファーに座り込む。メガネ越し、切ない表情が旭希の顔を見上げていた。
「寝てないの?」
「ああ」
「…僕のせいだね」
「……」
 そう。全ては、炯のせい。ずっと旭希の頭を占めているのは、炯のことだけだ。
 瞳を伏せた炯は、ゆっくりと鷹谷を見上げる。
「いい加減、教えて下さいよ」
「なにが知りたいんだ?」
「旭希とあなたの関係。あなたと僕の話。一番最初のとき、あなたは僕が劇団AZ(アズ)の二階堂炯だから声をかけたんじゃない。旭希の友人である二階堂炯だから、声をかけたんでしょう?」
 問われた鷹谷は、ふっと口元に笑みを刷いた。
 炯の向かい側に腰を下ろし、シガレットケースからタバコを引き抜こうとして、思い直したように放り出されていた炯のメンソールを手に取った。
 勝手に一本抜いて、火をつける。
「そうだな。救いようがないくらい酔い潰れている男を見つけて、見覚えがあると振り返ったらお前だったんだ」
「僕はあの夜より前に、あなたに会った記憶なんかありませんよ」
「勿論。私が知っているのは中学生の頃に見かけたお前と、あとは調査報告書だけだ」
「報告書?」
「ああ。…橘」
 呼ばれた橘が、炯に差し出した書類。少し古くなっているそこには、まだ中学生の炯と旭希が写っていた。炯の後ろからそれを目にした旭希が、怒りと驚愕に唇を震わせる。
「貴様…!」
「私は、命じられたままに調べただけですよ。息子の友人がどんな人物か、オヤジが気にしていたのでね」
「どこまで卑劣なんだ!たかが愛人の息子に、どうしてそこまでする必要がある!」
「旭希」
「お前らは、いつだってこんな…!」
「旭希っ!」
 鋭い声で炯に止められて、旭希は痛いほど拳を握る。それに気付いて、炯が旭希の手を取った。
「落ち着いて。大したことじゃないよ」
「炯…」
「一緒に住んでないんだから、佐久間さんが気にするのは、当然だ。何をされたわけじゃない。ちょっと身辺調査されただけだよ…僕が、旭希の友人に相応しいか」
 でしょう?と、炯は鷹谷を見つめる。肩を竦める鷹谷は、認めているのと同じことだ。
「佐久間さんからすれば、僕が旭希を利用するよう、誰かに言われてるのかもしれないって。心配だったんだよ。そういう心配が必要な立場の人だ。…まあ、いらぬ心配でしたけど?」
「そうだな。オヤジはあの頃、旭希さんを本気で引き取りたがっていたからな」
「…冗談じゃない…!」
 吐き捨てる旭希の手を強く握り、にこりと笑った炯はもう一度その報告書に目を通した。最初は中学卒業あたり。それから、定期的に調べられているのがわかる。
「マメですねえ。一年おきに調べられてたんですか、僕」
「私が直接調べたのは、最初だけだがね」
「うわ〜、劇団の立ち上げ資金のことまで。あ、コレ金額間違ってますよ。この金額、ハッタリだったんです。劇場借りられないから」
 平然と言う炯に、鷹谷は面白そうに笑った。いっそ隣に立っている橘の方が、唖然としている。
「それで最初は、食うにも困っていたわけか」
 そうそう、と答えた炯は旭希の手を離し、再び報告書を捲って、手を止める。
「…奥さんの実家まで。住所違ってますよ」
「伝えておこう」
「なんだったら、直接聞けば良かったのに」
「それでは調査にならないだろう?」
「そうですね。…この調査って、いつまで続くんですか?」
「不愉快か?」
 炯が、顔を上げる。報告書をテーブルに放り出す間も、鷹谷から目を離さない。落ち着き払った炯の姿に、部屋の隅で控えている橘は息を飲んでいた。


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