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[Novel:11] -P:02-


「若いのに当たるな。お前、自分がオカシイのに気づいてんのか?」
「……っ!」
 立ち上がっていた炯は、ガタンと椅子に座って。三人に背を向けた。
「…怒鳴って悪かったよ。今日はいいから、コーヒー淹れたら帰って。タバコもいいよ。ストックの場所はわかってる。本当に、ごめんね」
 若い二人はほっと息をついたが、古い仲間は眉を寄せる。炯がこんな風に、相手の顔も見ずに謝ることなどないのだ。
「なあ、二階堂…今回の公演、なんとか初日を遅らせることはできないのか?」
「なにそれ?本気で言ってる?」
 皮肉げに笑う声。心配そうに、男は炯のそばへ歩み寄った。
「でもお前、今までそんなに苦しんだことないだろ。なんだったら、最初からコンセプト練り直したらどうだ?多少の苦労、俺たちは構わないぜ?」
 AZは、お前がいて初めて成り立つんだから。
 優しく語りかけた男は炯の肩に手を置いた。それは、スポンサーを怒らせる結果になっても仕方ない、自分達はお前についていくよ、という。彼なりの気遣いだったのだが。自分を見上げようともしない、虚ろな炯の視線に失言だったと思い知る。
「…悪い。余計なこと、言ったな」
「いいよ。聞かなかったことにする」
 きっぱりとした言葉で切り捨てた炯は、まだ顔を上げようとしない。
「二階堂…」
「幕は予定通り上げるよ。どんなことをしてでも」
 客演の若手俳優にはすでにオファーがいっている。大まかなストーリーだって、既に関係各社へ通達済みだ。いまさら変更が利かないことなど、誰より炯が一番わかっていた。
「…そうだな」
「今日はいいから。帰って」
「お前はどうするんだ?」
「さあ?」
「さあって、お前な!」
 まるで自分の存在を無視するかのような炯の態度。苛立って強く肩を掴んだ男は、痛いくらいの力で振り払われ、息を飲んだ。
「どうして欲しいの。機械みたいに書いてろって?おとなしくパソコンに向かってれば書けるっていうのかっ?!」
 いきなり立ち上がった炯は、机に積んであった資料を乱暴になぎ払う。それはあまりに唐突な行動で、咄嗟には誰も反応できなかった。
 けれど炯は足りないとでも言うように、今度は何も言わないまま重いパソコンの本体を持ち上げ、床へ叩きつけた。
「二階堂!」
 こんな風に暴れる炯の姿など、今まで一度も見たことがない。
 驚愕に目を見開いたまま、一番そばにいた男は、慌てて炯を止めようとする。しかし細い身体のどこにそんな力があるのか、掴んだ手は思い切り振り払われてしまった。
 呆然と見守るしかない彼らの前で、炯が空のマグカップをモニターに投げつける。液晶画面の淵に当たったそれが割れる、派手な音が響いたとき。ちょうど扉を開けた旭希は、驚いて声を上げた。
「ケイッ!」

 ……一番聞きたかった声に名前を叫ばれて、炯はやっと動きを止めた。
 ふらりとドアの方を見て。
 旭希の姿を見つけ、呆然とその場へ座り込んだ。
「あ、さき…?」
「どうした?何してんだお前」
「…なに…?なに、してって…なんだろ…なんでこんなとこ、いるの…?」
 硬直している若い二人に軽く会釈をして、足早に中へ入ってきた旭希は、ぼんやり自分を見上げている炯のそばで膝を折った。
 傍らにいたのは、学生時代から知っている炯の仲間。あからさまにほっとした顔で旭希を迎えている。
「高沢…」
「勝手に入って悪い。どうしたんだ?」
「いや…俺が余計なこと言ったせいで、ちょっとな…」
「…君のせいじゃないよ」
「二階堂…」
 彼の言葉に、キレたわけじゃなくて。どうしようもないのは、二階堂自身。
 聞き取れないような声で、項垂れたままの炯がぼそぼそと何かを呟いている。その手が縋るように旭希のコートを掴んでいるのを見て、旭希と男は顔を見合わせた。
「今日はもう、ここにいない方がいい。高沢…頼めるか?」
「ああ、それは。勿論」
「じゃあここは俺たちが片付けておくから…」
 若い二人を振り返ろうとした男の横で、炯が顔を上げた。
「…いいよ」
「二階堂?」
「いいよ、このままで…明日にでも僕が」
「炯…」
 旭希はそっと炯の頭を自分の方へ引き寄せる。力が入らないのか、旭希の胸に無防備なまま、柔らかな髪が押し付けられた。
「怪我してないか?」
 問われるまま、こくりと頷いた炯はまだぼうっとした視線で床を見つめている。旭希は炯の肩を抱き寄せ、何度か優しく叩いた。
「ここは任せて、帰ろう」
「でも僕、まだ原稿が…」


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