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[Novel:13] -P:02-


 鷹谷が一度車を止めると、現れた老人が丁寧に頭を下げて、ゆっくりと門を開けてくれた。年齢を感じさせないほどしなやかに近づいてきた老人に、鷹谷が窓を開ける。
「元気そうだな、じいさん」
「お久し振りです鷹谷様…お待ちしておりました」
 落ち着いた声。流れる時間まで違っているようで、炯は感心してほうっと息を吐く。
 普段から多くの役者と関わっている炯だが、どうしてもこういう空気を表現できる者は少ない。まるで何百年もここで、鷹谷を待っていたかのように。身なりのきちんとした、背筋の伸びた老人は、目の合った炯にも柔らかな笑顔を浮かべて頭を下げる。
 慌てて頭を下げる炯の隣で、鷹谷が笑っていた。
「しばらく世話になる」
「ありがとうございます」
 二・三歩下がった老人の前で窓を上げ、鷹谷は再び車を走らせた。今度はほんの数分。
 手入れの行き届いた庭を抜けると、耳に心地いい川の流れが聞こえて、あまり大きすぎない建物が見えた。大正の趣を残した、日本的な洋館。正面に中年の男性が立っていて、車が近づくと緩やかに頭を下げる。
 彼の前に車を止めて、鷹谷は「降りなさい」と炯を促した。ゆっくり羽を開くようにドアが開いて。シートベルトを外し降り立った炯は、ここまでの経緯も何もかも忘れ、呆然と目の前に現れた洋館を見上げた。
 窓には全て格子が入っていて、屋根も落ち着いた風合いの瓦。全体的には和の様相を有しているのに、建物は間違いなく洋館なのだ。ちぐはぐになりがちな両者が、落ち着いた色合いの中で絶妙に溶け合っている。
「ここって……」
「旅館だ」
「旅館?!」
「ああ、温泉旅館だ。見えないか?」
「見えませんよ…まるで美術館みたいだ」
 ふわふわとした声で呟いている炯を見つめて、鷹谷は目を細める。近づいてきた男は、慇懃に頭を下げた。
「お久し振りです、鷹谷様」
「ああ、車を頼む。荷物は後ろだ」
「かしこまりました」
「炯、おいで」
 足早に自分の方へ回ってきた炯を連れて、鷹谷は中へ入っていく。外観もさることながら、内装も素晴しく豪奢で、しかしきらびやかな主張などなく、控えめなものだった。
 建物に入ったところで待っていてくれた和服の女性が、二人をにこやか迎えてくれる。
「お久し振りでございます、鷹谷様。お疲れになりましたでしょう?」
「たまに自分で運転すると、肩が凝るな」
「まあまあ。ゆっくりなさってくださいませ」
 表情の明るい人だな、というのが炯の第一印象。目が合うと、炯にも柔らかく微笑みかけてくれた。
「二階堂様でいらっしゃいますね?お待ちしておりました。女将の沙木(サキ)と申します」
「お世話になります」
 にこりと笑顔を返した炯に、ふわりと花が開くような表情で答える彼女は、おそらく五十を超えていると思うのだが。わかっていても可愛いなと思える、華やかな女性。
「どうぞお履物はそのままでお入りくださいませ。ご案内いたします」
 先に立って歩く女将の後ろ。彼女と言葉を交わす鷹谷の低い声を聞きながら、炯は周囲を見回して歩いた。

 美術館のようだ、と思った炯の感想を裏切らないくらい、飾られてある絵も置物も、何気ないようでいてそれぞれに趣がある。全て本物だということは、確かめなくても纏う空気で知れていた。掛け軸の横に、西洋風の壷なんて。一歩間違えばただの成金趣味になってしまいそうなのに。
 通りがかりに見つけた古いチェストには、我が物顔で抹茶碗が並んでいる。その不思議な取り合わせが面白くてつい足を止め、眺めてしまっていた炯ははっとして顔を上げた。少し離れたところに、二人が笑って立っている。
「すみません、お待たせしてしまって」
 慌てて近づく炯が照れて頬を染めると、女将は気にした風もなく背の高い炯を見上げて微笑んだ。
「二階堂様はお茶を嗜まれるのかしら?」
「いえ、そんな。友人の付き合いで、一度茶会に顔を出したことがある程度です」
 お恥ずかしい限りですけど、と頬を掻く炯と鷹谷を連れて再び歩き出した女将は、さも嬉しそうな顔で「でも一度は茶会に出られたんでしょう?」と、少女のように手を合わせて喜んだ。
「でしたら御滞在の間に、一度お茶に誘わせていただいても構いません?一服差し上げたいわ」
「あの、でもほんとに作法とかわからないんですよ」
「あらあら、構いませんのよそんなもの。そうだわ、ご案内するお部屋にはテラスがありますのよ。そこでしたら、気軽に楽しんでいただけるんじゃありません?」
 ね?そうしましょうよ。と、女将があまりに楽しそうなので。困ってしまった炯が鷹谷を見上げる。彼は笑って手を伸ばし、炯の髪を撫でてくれた。
「この人は若い男に茶を立ててやるのが趣味なんだ。乗ってやれ」
「まあ酷い。いつも私にお茶を立てるよう仰るのは、鷹谷様じゃありませんの」


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