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[Novel:13] -P:06-


 東京での鷹谷は、酒と肉だけで生きているんじゃないかと思うくらい、デタラメな食生活なのだから。……まあ鷹谷だって、放っておけばタバコとアルコールだけで生活してしまう炯には言われたくないことだろうが。
 なにより炯を喜ばせたのは、女将の注いでくれた日本酒だ。この寒い時期に冷酒はどうなんだと思わなくもなかったが、何気なく口をつけたその酒。旨いというより、日本酒好きの炯からすれば、神々しいまでの味だった。
「好きだろう?」
 笑う鷹谷に、素直に頷いてしまうくらい。
 辛口で、しかも香りが豊か。一口含むだけで、身体を突き抜けていくような感覚。炯の好みをよく知っている鷹谷が持ってこさせただけのことはある。
「これ…絶対に飲み過ぎないですよね。もったいなくて」
 感動してうっとり呟く炯に、女将は優しく笑っていた。
「親方が聞いたら喜びますわ。蔵元の杜氏とは私、幼なじみですのよ」
「地元のお酒なんですか?」
「量を作ってないのですけどね。幼なじみのよしみで、うちにだけ入れてもらってるんです」
「うわあ…羨ましいな」
 本気で呟いた。他では手に入らないなんて。いや、ここまでの味なら、安売りは絶対にして欲しくないけど。
「でしたら、二階堂さん」
 様づけは落ち着かないからやめて欲しいと言った炯の要望を、女将は気持ちよく受け入れてくれていた。丁寧な物言いなのに、気安い言葉を選ぶ炯のことを、女将が気に入ったせいもある。
「お帰りの時には、一本お持ち帰りになりません?ご用意いたしますから」
「え…でも」
「杜氏もきっと喜びますもの。それにお持ちになったお酒がなくなったら、また飲みに来て下さいますでしょう?ねえ鷹谷様?」
「酒が目当ての温泉か?」
「構わないじゃありませんか。私、二階堂さんにまた来て頂きたいのですもの」
 ね?と、やっぱり少女のような表情でころころ笑う女将に、鷹谷は苦笑いを浮かべて「貴女には敵わないな」と首肯した。お約束ですわよ、と念を押して。食事の最後まで付き合ってくれた女将は、食後のお茶を鷹谷に任せ、部屋を後にする。
 二人きりになった部屋で、鷹谷は黙っている炯の手を引き、明かりを落としてベッドに上がった。


 温泉旅館といえば布団のイメージが拭えない炯だが、ダブルよりも広いベッドに座って部屋を眺めると、ここにベッドがあることが当然のように思えるから不思議だ。しっかりとした樫のヘッドレストに寄りかかり、鷹谷は自分の前に炯を抱いている。
 しないんだろうかと。落ち着かなくて振り返ろうとした炯の両手を、後ろから鷹谷が捕まえた。
 ――う、わ……
 炯はびくりと肩を震わせた。そうやっていると、身体の大きな鷹谷に包まれてしまう。背の高い炯にこんなことが出来るのは、鷹谷ぐらいだろう。
「どうした、寒いか?」
「…全然。あったかいです」
 力を抜いて、鷹谷に体重を預けてしまっても、彼の身体は少しも揺らがない。こんな風に誰かの腕の中で、安心しきっていられるのはどれくらいぶりなんだろうと。炯は握られている自分の手を見つめた。
「ああ、そっか…」
「ん?」
「こんな風に、誰かに抱えられて安心したの。初めてかもしれないと思って…」
 父も、母も。炯を何度も抱き締めてくれたけど。心の中にある棘が、炯を癒してはくれなかった。
「親にもされたことないな〜」
「…私はお前の父親になる気はないぞ」
「当たり前じゃないですか…僕だって、父親とあんなことする趣味はないですよ」
「あんなこと?」
「……。ったく…意地悪だなあ」
 すかさず聞かれた問いかけに、炯は溜息を吐いて微笑んだ。
 捕らわれた両手を少しだけ持ち上げ指を開くと、鷹谷が何も言わずに絡め取ってくれる。祈るように互いの指を組み合わせて、炯はそのまま自分の指に口づけた。
「旭希を裏切りたくないって、今でも思ってるんです…」
 自然と口から零れる言葉。まるで告解のようだと思った。
「でも、あなたのそばにいたいのも…本当の気持ちなんです…」
「そうだな」
「卑怯ですよね…旭希の手を離す気なんかないくせに、どうしようもなく…あなたを求めてるんだ」
 きゅうっと、胸が痛んだ。
 酷い言葉だと思う。許されるわけもない我儘だと知っているくせに、言葉にしてしまえば、情けを請うような色が拭えない。知っていて悪事を働くのは、何より軽蔑される行いだろうと思うけど。炯の言葉は、身体中が痛いんだと訴えるのに似ていた。


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