[Novel:13] -P:07-
どうにかして欲しいというよりも、ただ痛いと悲鳴をあげるのは本能だ。そんなことを訴えても、救われないのを知っているのに。喉を突く言葉は止まらない。
鷹谷は炯と指を絡めたまま、もう少しだけ炯の腰を自分の方へ引き寄せた。
「…お前には、娘がいるだろう?」
「え?…ああ、はい」
突然、娘のまどかを話題にされた驚きに、炯は何度か目をしばたかせる。
「母親が引き取っていると聞いたが?」
「そうです…」
月に一度しか会えない愛娘を思い出して、炯は眉を寄せた。手放したくないと、一度だけ訴えたけど。あなたに育てられるの?と厳しい言葉で反論されて、何も言えなかった。
「娘が自分には父親も母親も必要だから、復縁してくれと言い出したらどうする?」
「…出来ませんよ、そんなこと。出来るならとっくにやってる。いっそ別れてないです…。僕はまどかを傷つけると知ってて、彼女と別れたんですから…」
唇を噛む炯は、その時のことを思い出したのだろう。
家を出て行く炯に、まどかはいつもと変わらず、いつ帰ってくるのと聞いていた。答えられない父親に、何を悟ったのか涙を浮かべて。もうまどかのパパじゃなくなっちゃうの、そう叫ばれた痛みは、一生忘れられないだろう。
両親への違和感を消せないでいた炯は、自分の家族を持ったことが、本当に嬉しかった。やっと自分にも、自分だけの居場所が出来たのだと。魂の安息というのは、言い過ぎだろうか。
その自分が、同じ思いを娘にさせている。いつかきっと、まどかが炯を責める日は来るだろう。私が大事ならどうして別れたんだと彼女に詰め寄られても、炯に言い訳の言葉はない。
鷹谷は身体を強張らせる炯の首筋に、唇を押し付けた。
「お前は、娘をワガママだと責めるか?」
「まさか!……鷹谷さん」
首を振った。それは、違う。
「話が違いすぎますよ…。いまの話は、僕と重ならない」
旭希と鷹谷を求める炯のワガママは、娘が両親を求める切ない気持ちと一緒になんか、ならない。
腕の中から逃げ出そうともがく炯の細い身体を、鷹谷は強く抱き締めて「わかっている」と囁いた。
「同じだなどと、言う気はない。子供が親を求めるのは当然のことだ。わかっている。落ち着きなさい」
「鷹谷さん……」
「旭希さんが自分で私に連絡を寄越すには、よほどの覚悟がいっただろうと。お前にもわかってやって欲しかっただけだ」
電話をしてきた旭希の声は、震えていた。嫉妬と、自戒とで。かつての自分本位だった旭希を知っているからこそ、鷹谷にはどれほど旭希が炯を愛しているのかが伝わってきたのだ。
「彼は、お前が救えるなら手段を選んでいられないと言っていた。どんなにお前が隠していても、旭希さんにはお前の苦しみなど、とうにわかっている」
おとなしく鷹谷の胸に寄りかかって、炯は目を閉じた。
「僕は、旭希に酷いことをしている…」
「そうだな」
「あなたにも…」
旭希の元にしか幸せはないんだと、鷹谷を切り捨てたのは炯自身なのに。同じ手で、鷹谷に縋り付いている。
「僕は…僕では、誰も幸せになんか出来ないんだ…」
支えてくれる人を、支えられない。握り締めるのは鷹谷の手なのに、この人のそばでおとなしく愛されていることも出来ない。
「手に入れたはずの家族を、自分で手放したくせに…僕には旭希と暮らす資格なんか、最初からなかったのに…」
内側から切りつけられ、脆く崩れていく炯の身体を、鷹谷はゆったりと包み込んだ。
「勝手に決めるな」
「……でも」
「お前は旭希さんを甘く見ていないか?あの人はお前が結婚しても、子供が出来ても、男に弄ばれて甘んじていると知っても、何ひとつ変わらずお前を愛していられるんだぞ?」
筋金入りだ、と。肩を竦めて囁く。
「お前には、舞台よりも一人の人間を優先して生活していくことなど、出来ないだろうな」
「……そう、ですね」
「だからといって、旭希さんがお前を諦めるか?あの人は相当しつこいぞ。許されるなら、お前を劇団から引き離して閉じ込めてしまうぐらいのことは、やってのける人だ」
簡単なシュミレーション。
一度手に入れた最愛の人を手放すくらいなら、旭希はきっと犯罪者になることを選ぶだろう。彼の激しさを誰よりも理解している鷹谷には、笑いさえこみ上げてくる。
「あの人は、オヤジの息子だからな」
「…佐久間(サクマ)さん?」
ぼんやり鷹谷の顔を振り返った炯に、触れるだけの口づけを与えて。そうだと答える鷹谷は、可笑しそうに口元を歪めている。
「オヤジに娘がいるのは知っているか?」