[Novel:14] -P:03-
病弱だった幼少時。本当の両親のこと、養父たちとの関係。常に中心人物だった学生時代。若すぎた結婚、溺愛する娘。そして、離婚という絶望。
調べれば調べるほど、鷹谷には炯が子供のまま成長できないでいるような気がして仕方なかった。
そんな炯が、どうやって人の心を掴むような仕事をしているんだろうと。吸い寄せられるように、彼の作る舞台へ直接足を運んだときにはもう、鷹谷は自覚もないまま、抜け出せないほど炯という存在に溺れていたのだ。
……若い観客の多いAZの公演で、鷹谷の存在は相当浮いていた。さすがに最近はスーツで見に行くことなどないが、最初のときは自分でも場違いだと思ったくらいだ。
しかしそんなことが気にかかったのも、幕が上がるまで。
舞台上に繰り広げられた物語にのめり込んでしまった鷹谷は、自分を構成するたくさんの肩書きや立場が剥がされていることに、幕が降りてから気付き、息を飲んだ。
上演時間の三時間、鷹谷は本当にただの観客だった。いま自分が見ている舞台を、炯が作っているのだということさえ忘れていた。暗かった観客席に明かりが点いた時、鷹谷の中には程よい疲労と、脚本家が舞台に込めたメッセージだけが残っていて。
拍手が鳴り止まず、三度目のアンコール。
主役を務めた役者から名前を呼ばれ、奥から姿を現した二階堂(ニカイドウ)炯に、ひときわ大きな拍手が送られる。ゆっくり観客席を見まわして、炯は自分の左胸に右手を当てると、静かに頭を下げた。
顔を上げた炯の誇らしげな表情を見たとき、鷹谷は苦笑いを浮かべて周囲の観客と同じように立ち上がり、手を叩いていた。
それが、出来る限り彼を守ってやりたいと思った最初。炯への愛しさを自覚した最初の瞬間だ。
あの時、鷹谷が見つめる先には、自分の腕の中で見せるどんな表情より美しく輝く、炯の顔があった。
幼い頃から炯が自らに張り巡らせた、たくさんの枷。その中で成長できなかった子供が、自分の手で取り上げられた感情や欲求の全てを注いで、別世界を築いている。
鷹谷の見ている炯は、舞台人でなければ生きていけない男。
彼を舞台へと突き動かす衝動そのものが、鷹谷を魅了してやまない。
旭希にとっての炯は、脚本家ではない。たとえば彼は、炯が創作意欲を失い心を閉じてしまっても、炯のそばにいるだろう。ネクタイを締めて毎日どこかの会社へ出勤し、休日を楽しみに一週間を過ごす、どこにでもいる男になった炯を、変わらず愛していられる。
だが鷹谷は、そうなってしまえば一気に炯への興味が失せてしまうはずだ。お前などいらないと、切り捨ててしまうことが出来るだろう。
誰よりも人間である二階堂炯を愛している旭希と、誰よりも脚本家である二階堂炯を愛している鷹谷。
炯に必要なのは、どちらかではなく両方だ。彼の中にある二面性がなくならない限り、どちらかを選ぶことは出来ない。
それに気付くのが、鷹谷よりも旭希よりも遅かったなんて。自分のことに鈍すぎだと、鷹谷は思う。しかしまあ、だからこそ炯は炯なのだし、そんなギャップが可愛いと思うのだが。
鷹谷はインターフォンの音に顔を上げた。手にしていた書類を置いて、旭希を迎え入れるために立ち上がる。
鷹谷がコーヒーを淹れてやると、今日の旭希はおとなしくそれを受け取った。
炯を奪い返したあの時、憎しみさえ抱いて鷹谷と対峙した場所。あの時と同じリビングに通され、旭希はなぜかほっと息をついた。どうしてか鷹谷の顔を見ると安心してしまう。この何ヶ月かの間に、旭希は確実に変わった。自分を飲み込んでばかりだった彼が、本当の意味で自身と炯を受け入れられたからかもしれない。
「……それで。何が聞きたいんですか」
鷹谷に問われ、旭希は言葉に詰まる。鷹谷から電話を貰い、炯を自分の元には送って行けないと言われた時は、かあっときて、それならこの一週間のことを全て話せと詰め寄ったけど。ここへ来るまでに少し冷静になってしまって……思えば、事細かに二人の時間を話されても、楽しいことなど何もない。
「…炯は、もう大丈夫なんだな?」
旭希の曖昧な問いかけに、鷹谷はふっと笑った。
「大丈夫も何も。向こうへ着いた日には立ち直って、翌日から原稿を書いていましたよ。それから二日間は、私とも碌に言葉を交わしていませんでしたからね」
肩を竦めて見せる鷹谷に、旭希は苦笑いを浮かべる。炯が原稿に没頭してしまうと、周囲のどんなことも見えなくなるのは、旭希もよく知っていた。
「結局どこへ行ったんだ?」
「温泉へ。どこにも宣伝を出していない、偏屈な主人のいる旅館ですよ。炯は自分がどのあたりにいたのか、知らないんじゃないですか?行きも帰りも寝てましたから」
「そうか」