[Novel:14] -P:04-
「女将が炯を気に入って、また来てくれと誘ってましたね。今度はあなたが連れて行ってやったらどうです」
「絶対に嫌だね」
鷹谷が炯を連れて行った場所などへ行って、何をされたんだろうと考えるたび苛々するなんて、冗談じゃない。
自分が拗ねた顔をしていることに気付いた旭希は、慌てて口元を手で覆う。いまさらそんなことをしても、鷹谷にはバレバレだ。
どうにもあの夜、炯を助けて欲しいと電話をかけた日から、自分は鷹谷の前だと子供っぽい態度になる気がして、仕方ない。
「…炯は、納得したのか?」
それが一番聞きたかったんでしょうと。鷹谷は旭希の顔を窺うように、片眉を吊り上げた。
「炯は、ね。あなたはどうなんです?」
三人でバランスを取ることが、一番理想的なのだと。独占欲の強い旭希こそ、納得出来ているのだろうか。
痛いところを突かれ、旭希は嫌そうに眉を寄せた。
「仕方ないだろ…。でも、譲らないけどな」
「何を」
「色々と。オレにとっては伴侶で、お前にとっては愛人だって。そういうことなんだろ?」
随分とロマンチストな発言に、鷹谷は半ば呆れて旭希を見ていた。
「なんだよ」
「いや……」
「言えよ。気になるだろ」
「……真顔で伴侶なんて言葉を使う人を見たのは、初めてだと思いまして」
眉を顰めて言われ、旭希がかあっと顔を赤くすると、鷹谷は笑い出していた。
「し、仕方ないだろ?!他になんて言うんだよ!男同士なんだから旦那でも妻でもないだろうが!」
捲くし立てる旭希に、鷹谷が声を立てて笑っている。むくれてぷいっと横を向けば、すいませんね、なんて。全然反省していないような声で謝罪されてしまった。
「お前そういうところ。相変わらずだな」
「そうですか?」
「そうだよ。すぐ人のことからかって、面白がる」
昔から。旭希が頼れる大人の男なんか、鷹谷しかいなかった頃から。
ふいに、旭希は正面から鷹谷を見た。
こうして落ち着いて彼を見てみると、いろいろと思い出すこともあるが、やっぱり鷹谷は変わらない。鋭い視線も、人を圧倒するような存在感も。確かに年を重ねたとは思うが、それだって鷹谷の洗練された大人の雰囲気をいっそう味わい深くしているばかりで、こう、マイナスに働いているようなところが少しもない。
なんとなく、炯がほだされても仕方ないような気さえしてしまう。
じっと見つめてくる旭希に、ふっと笑った鷹谷は「私のほうじゃないですか?」と呟いた。
「は?」
「ですから。炯が私の愛人なのではなく、私が炯の愛人なんでしょう?この場合」
ぽかんと呆気に取られた旭希は、肩を揺らせる鷹谷につられて笑い出した。
この鷹谷が誰かの愛人だなんて。あんまりにも似合わないけど。確かにそうだ。
本命といえる大事な人と暮らしている炯が、息が詰まるとき手を伸ばす相手なら。炯にとって鷹谷こそが「愛人」なのだろう。
「お前が愛人ねえ」
面白がる旭希を見つめ、鷹谷は手元のコーヒーを傾けると、その黒い水面に視線を落とした。
「そうですよ、あなたの愛する炯が、あなたの忌み嫌う愛人を持っているんです」
「……蒸し返すなよ」
拗ねた声で返して、旭希も自分が手にしているコーヒーを見つめた。
最悪の再会をしてから、ずっと気になっていることがあって。悔しいので、確認はしなかったけど。今なら……
「…なあ」
「なんです?」
「お前がオレの家庭教師に付いた時、どうして最初から自分は佐久間の関係者だって、言わなかったんだ」
蒸し返すなと言いながら、遠い話を持ち出す旭希に、鷹谷は意地悪な視線を向けた。
「そんな話を聞く余裕、当時のあなたにありましたかね」
「だから…そうだけどさ」
佐久間の回し者なのか、と聞いた中学生の旭希。オヤジはあなたを引き取りたがっている、と答えたのは、当時大学生だった鷹谷。
そんな言葉が聞きたいんじゃないと訴える旭希に、鷹谷が「オヤジの命には逆らわない」と答えた途端、旭希は鷹谷に殴りかかった。
悔しかったのも確かだが、裏切られた怒りで、思考は真っ赤に染まっていた。
あの時は、そのまま鷹谷を叩き出したのだけど。時間が経って、変わらず自分の言葉に耳を貸してくれる鷹谷と再会して。大切なものを共有するようになって初めて、旭希は思い出したのだ。
涙を浮かべて殴りかかった自分に対し、鷹谷はけして手を上げようとしなかった。
「…今更ですよ」
やんわりした答えだったけど。旭希はその奥に隠されている答えを察し、溜息を吐く。
「言えば、オレはお前を認めなかったよな」
「…………」