[Novel:14] -P:05-
「何ヶ月かでもお前についてもらって、根本的な勉強のやり方を教えてもらわなかったら、炯と同じ高校へは行けなかったのだって、事実だ」
「あなたも随分と大人になったものだ」
「笑ってんじゃねえよ」
子供のような言葉に、鷹谷は立ち上がる。
「オヤジは相変わらずあなたを手元に置きたがっていますよ。私の居場所を聞くのにあなたから電話を貰ったこと、よほど嬉しかったんでしょう。どうしていつの間にあなたとの関係を修復したんだと、随分聞かれました」
キャビネットから取り出して旭希に差し出したのは、佐久間の写真。去年の正月に撮られたものだ。写真の中の父は、旭希が知っているよりも随分老けていた。
死ぬまで愛人のままでいた母は、いつも言っていた。
結婚なんか望まない。でも私は欲張りだから、少しでもお父さんのそばにいたいのと。本妻に申し訳ないとさえ。
旭希を産んだこと。旭希を手元で育てさせてもらっていること。自分のワガママを許してもらって、感謝していると言っていたけど。
「母さん…本当はオレを、佐久間の家へ遣りたかったのかな」
なにやら力なく呟く旭希の前で、鷹谷はタバコを咥え、火をつけた。
「どうでしょうね?病に倒れられたときは、オヤジにあなたを引き取ってくれと、泣いて頼んだそうですが」
「……知ってる」
「オヤジがどう思うか聞くんで、旭希さんは死ぬまで抵抗するんじゃないですか、と答えましたね。確か」
旭希は目を見開いた。
「お前が?」
相変わらず、鷹谷は曖昧に笑っている。
本当に、いまさらなのだが。
旭希の元に鷹谷が来たとき、旭希は佐久間の関係者かとは聞かなかった。聞いたときは決別の日で、鷹谷は誤魔化そうとはしなかった。殴りかかった旭希に、鷹谷は何ひとつ抵抗しなかった。
何事も面白がる性格は、あの頃から変わらないけど。自分のことも面白がっているんだろうと鷹谷を責めて、旭希はそういう一般人を見下ろす態度が、それがまかり通ると思っているあたりが「ヤクザの道理だ」なんて怒鳴りつけたけど。
「…ヤクザの道理じゃなく、お前の道理なんだな」
いやにしおらしく旭希が呟くものだから。鷹谷は笑みを深くして、空になったコーヒーカップを机に置いた。
「私を支配するのは、私だけですよ」
「ああ」
「オヤジについていくと決めたのも、この道に入ると決めたのも、結局は私だ」
旭希の視線の先で目を細める鷹谷は、やっぱりその瞳に、面白がるような色を見せている。
「何が正しくて、何が間違っているかを決めるのもね。世の中でも法律でもない。私自身だ。そういうところはやはり、ヤクザの道理なのかもしれませんよ?」
真剣な表情で見つめている旭希に、立ち上がった鷹谷は二人分のコーヒーカップを持ってダイニングへ向かう。
「そういうわけで、旭希さん」
「……え?」
「覚えていますか?」
唐突な問いかけに、旭希は首を傾げる。
「何を……」
「あなたは炯を助けてやって欲しいと電話してきたとき、自分に出来ることなら何でもする、と。言いましたね?」
ここに炯がいたら、振り返った鷹谷の表情を見て、気をつけろと旭希に囁いただろう。ああいう顔で笑っている鷹谷は、絶対何か碌でもないことを企んでいるのだと。
「まあ、言ったな。…なにさせる気だよ?」
炯と別れるとか、別に暮らすとか、はたまた佐久間の家に入るとか。そういうのは一切ナシだぞ。オレには出来ないことなんだから。
じとりと睨んで言う旭希に、とんでもないと肩を竦めた鷹谷は、自分の望みを口にした。
最初、目を見開いて。
それから、眉を顰める。
しかし旭希は、ふっと笑って少しだけ面白がるような顔を見せると、すぐに嫌そうな表情を作った。
「……悪趣味な」
「嫌ですか?」
「嫌に決まってるだろ。でもまあ、何でもするって言った以上は、仕方ないか」
「そうやって私を悪者にしていればいいんですよ」
にやりと笑う鷹谷に、旭希はやっぱり嫌そうな顔をしていたけど。そんな悪趣味な提案を受け入れた時点で、旭希だって同罪だ。だが共犯になどなってやらないと言いたげな旭希に、鷹谷はそれでいいと笑う。
鷹谷と旭希の立場は明確なのだから。
優しい人と、酷い人。
あったかい人と、冷たい人。
炯にどうしても必要な二人。ただ、彼らの悪巧みを知った後で、炯がなんというかはわからない。
劇団AZの千秋楽は、現在の演劇界では有名なプラチナチケットだ。とてもじゃないが、普通の手段では手に入らない。