[Novel:14] -P:06-
相当な強運の持ち主か、あくどい手を使っているか、高い金を出してネットオークションなどで落札するか。もちろん高い金と言っても、今の日本でアイドルが出ない舞台なら、たかが知れている。しかしそれでも、一枚一万円のチケットを倍の値段で買うかどうかというと、微妙な話だろう。
劇団側の意向で、招待席は出来るだけ少なく設定されている。マスコミ関係者でもなかなか回してもらえない、関係者席。当然その範囲は狭く、わかっている人間が見れば座っている場所で誰の関係者か一目瞭然だ。
炯がいまだかつてないほど苦しんで書き上げた舞台も、千秋楽となった。大阪から始まった公演は、今日この東京にて終わりを告げる。
二ヶ月に及ぶ公演は、すでにAZ史上最高の出来だという評価を受けていた。
あの辺、二階堂さんの関係者だよね……と噂する声を聞きながら、旭希は客席へ入って行った。噂の人物が自分の隣のチケットを持っていることは、炯から事前に聞かされている。あともう一枚、炯が世話になった女性が呼ばれていて、その人は鷹谷の知り合いなのだとか。
一階席の後部と二階席の中央最前列がAZの関係者席だが、炯はいつも一階席一番後ろの一列を確保していた。幕が開いた後、炯がこっそり座っていたりする為なのだが、知っている者は少ない。与えられた席へ近づいて、旭希は苦笑いを浮かべる。
――目立ちすぎだろ。
誰も彼も、ちらちらと彼を見ているのがわかる。旭希の視線の先には、AZのファン層からかけ離れた人物が座っていた。
鍛えた体の線を見事に引き立てるスーツはオーダーに違いないし、あんな深い色の生地は夜の商売か裏の商売に違いない。そしてそれは間違いではなく、彼は夜の商売も裏の商売も手がけている。
「目立ってるな」
旭希の声に気付いて、鷹谷が視線を上げる。
「この後に予定がなければ、もう少し目立たない格好で来たんですがね」
「出来るのかよ、お前に。目立たないことなんか」
鷹谷ぐらいの上背があって、これだけの存在感がある男なら、きっと安物のジーンズにTシャツを着ていたって目立つだろう。肩を竦める鷹谷に旭希が笑うと、鷹谷の隣に座っている女性まで、くすくすと口元を押さえていた。
慌てて頭を下げる旭希に、彼女は明るい笑顔のまま立ち上がり、沙木(サキ)と申します、と丁寧に頭を下げてくれる。
「炯が脚本を書き上げた旅館の、女将ですよ」
「ああ、そうなんですか。それは…お世話になりました」
と、旭希が言うのも変な話だ。
「田舎の温泉ですけれど。宜しかったら一度いらして下さいね」
「行きたくないそうだぞ。私が炯を連れ込んだような所へは」
「いや、そんなことは…」
しどろもどろになる旭希を、女将は笑顔を絶やさずに見つめている。どこまで知られているのかと思うと、旭希も曖昧に笑うしかない。
「まあ、残念だわ。じゃあ鷹谷様がいらっしゃらなければ宜しいんじゃありません?」
「おいおい…」
眉を寄せる鷹谷と、楽しげな沙木。旭希がお座りになって下さい、と声をかけると彼女はにこっと笑って従った。とても素敵な女性なんだよ、と炯から聞かされていたが、本当だ。彼女と話していると、こっちまで楽しくなってくる。
鷹谷は女将と席を交換していたのか、旭希が自分の席に座ると沙木を挟むような形になった。
「二階堂さんからチケットが届いたときは、驚いたんですのよ。一度拝見したいわ、なんて私の言葉、覚えていてくださったのねえ」
ひとり言のように呟く沙木に、そういうヤツなんですよ、と旭希が笑う。しかし鷹谷は溜息をついていた。
「良い様に言うじゃないか。お前が取引きしたんだろうが」
「取引き?」
首を傾げる旭希に、沙木はころころと笑った。
「あら、だって。二階堂さんがあんまりにもお可愛らしいから。チケットを頂けるなら、鷹谷様の秘密をひとつ教えて差し上げますよ、って。申し上げたんですの」
驚いた表情を見せる旭希の見つめる先で、よほど聞かれたくない話をバラされたのか、鷹谷は苦虫を噛み潰したような顔になっている。
「何なんですか?鷹谷の秘密って」
「沙木」
口を開きかけた沙木は、厳しい声で名前を呼ばれて、ふふっと口元を押さえた。
「ごめんなさい、怒られてしまうわ。二階堂さんにお聞きになって?」
鷹谷は不機嫌そうに黙っている。どうせすぐ旭希にも知られるのだろうが、こんな衆目の場で公表するのは勘弁してもらいたい。
まあ、大したことではないのだ。
今までは炯に何も言わず、公演へ足を運んでいた鷹谷だったが、この沙木の口から、毎回観に行っているどころか、舞台のDVDまで揃えていることが、炯にバレてしまった。