甘い痺れが歩き回っていた炯の疲れを癒して、すうっと消えると、また次の新しい音が優しく触れてくる。
――うわ、なんだろ…泣きそう
自分の中に生まれくる衝動が信じられず、炯は顔を伏せた。
夕焼けに赤く染まった、誰もいない廊下で一人、膝を抱える。遠く聞こえていたはずのグラウンドの声や、演劇部の発声練習がどんどん聞こえなくなっていく。
優しい音は誰に伝えることもなく「大丈夫」と囁く声になって、通りすがりに炯の頭を撫でてくれた。
大丈夫、まだ大丈夫だから、と。
弾いている人物の気持ちなのか、聞いている炯の気持ちなのかはわからなかったけど。溢れてくるものはどうしようもなく、炯の目頭を熱くさせる。
どれくらい、そうして耳を傾けていたのか。
さすがに最近暑くなってきたとはいえ、夕方の廊下に蹲っていては身体も冷えてくる。冷たくなっていく体が限界を訴え始めたとき、何の前触れもなく音が止まった。
炯は顔を上げ、咄嗟に目元を拭う。泣いてはいなかったけど、泣いていてもおかしくないと思ったから。
すっかり夕闇に暗くなった廊下。放課後の学校に残っていた目的も忘れ、炯はどきどきと胸を押さえながら立ち上がった。奏者に会いたいような、会わずに逃げ出してしまいたいような、複雑な気持ち。
……がらりとドアが開いて。
姿を現した旭希に驚き、炯は目を見開く。
そこには炯の予想から一番遠い人物が立っていた。