【明日への約束I】 P:10


 もう一度名残り惜しげに唇を重ね、触れるだけで離した時雨は、桜太の小さな唇を指先で撫でながら「ね?」と囁いた。
「…秘密にしたら、時雨も怒られない?」
「たぶんね」
「…わかった。じゃあ、秘密にする」
「いいのかい?」
「うん」
「桜太はいい子だね」
 ぎゅうっと桜太を抱きしめ、そのまま小さな体を抱き上げた時雨は、素早く来た道に戻った。

 狭い道に桜太を下ろすと、時雨は少し乱れてしまった自分の髪を解いて、結わえ直す。その様子を、じっと桜太が見つめていた。
 初めて会ったときから、彼の髪に触れてみたかった。緩く波を打ち、背中の辺りまで届いている長い髪。
 さっきまで桜太は、時雨の髪に触れていた。触れていたというか、しがみついていただけなのだが。柔らかかったと思うけど、混乱していてよく思い出せない。
 同じように触れたいと思った、髭の感触は覚えている。指先ではなく桜太の頬が、首筋が、ざらりとした感覚を身体に刻んでしまったのだ。
 途端に恥ずかしくなって、桜太が赤くなっていく。少年の様子に、咥えていた結い紐を口から離し、時雨は首をかしげた。
「?…桜太、どうした?」
「え?…ううん、なんでもない」
「そう?」
「う、うん。平気だから」
 全く平気そうではないけど。この真っ赤な顔をからかってやっては、さすがに意地悪が過ぎるというものだろう。
「ここまででいいよ。送ってくれてありがとう、桜太」
 もう何も問いかけずに、ただ笑いかけてやる。桜太が見上げている時雨の瞳は、初めて会ったときと同じ深い色。
 なんだか走馬灯のように我が身に起こったことを思い出してしまった少年は、慌てた様子で踵を返し、家に向かって走り出していた。


<<ツヅク>>