相模屋(さがみや)の今の主人、喜助(きすけ)と時雨(しぐれ)は、もう随分と長い付き合いになる。同じ寺子屋で読み書きを習っていた頃からなので、幼馴染みと呼べるかもしれない。
相模屋は、そう大きな宿というわけではないのだが、良心的な値段に気のきいた接待で、常連を多く抱えていた。長く逗留するのに良い宿で、泊り客同士が顔なじみになることもよくある。
その二階の端の部屋を、喜助は新月と満月の夜、必ず時雨のために空けていてくれる。思うように会えない近江屋(おうみや)親子の、事情を知っているせいだ。
相模屋の主人を継いだ喜助とは、ゆっくり時を過ごすこともなくなっていたが、それでも時雨は、友人の心遣いを感じられるこの宿を気に入っていた。
ここは自分の家であるはずの近江屋よりずっと、居心地がいい。
今夜は満月。
いつものように、宵の頃には相模屋を訪れ、慣れ親しんだ部屋へ通してもらうと、時雨は通りに面した障子をからりと開けた。
長い髪を束ねている結い紐は、かつて妻が編んでくれたもの。
それをほどき、格子に結んで、めったに会えないでいる息子へ合図を送る。
ここにいるよ、と。
自分は元気にしているから、なにも心配しなくていいんだよ、と。
ふわふわうねる長い髪をかき上げた時雨は、開いた窓から満月を見上げていた。用意してもらった酒と肴、たばこ盆をそばへ置いて、のんびり煙管を咥えている。
人肌に飢え、いつも適当な相手を抱いている腕は、ここへ来るときだけ誰のものにもならずに、酒と煙管に預けられていた。
相模屋へだけは、誰かを伴って来る気にならない。ここには亡き妻の思い出が溢れていて、そんな気分にはならないのだ。
近江屋のほんのそばだけど。
居心地の悪い家を抜け出しては、妻と二人でここへ来ていた。
とくに何かするわけじゃない。物珍しい品を友人から差し入れてもらって、はしゃぐ妻と笑いあったり。これからのことに思いを馳せ、二人で話していたり。
相模屋で過ごすなんでもない時間を、時雨も妻も大切にしていた。
こん、と煙管の灰を落とした時雨は、静かに杯を傾け、ふいに笑みを浮かべる。……思い出し笑いとは、我ながら情けない。
――見て、ほら。きれいに咲いたでしょう?お日様に向かって、一生懸命笑ってるみたいね。
まだ珍しい、ひまわりの種を手に入れた妻は、きれいに咲いた大輪の花を指し、子供みたいにはしゃいで時雨の手を引っ張っていた。彼女は本当に花を咲かせるのが上手くて、近江屋の庭を色とりどりの色彩で飾っていた。
弥空(みそら)がこんな風に育ってくれたらいいわね、と。本人こそ花のように笑う妻が、心から愛しかった。
「ひまわりなら、空(そら)よりも桜太(おうた)のほうが似合うかねえ…」
名前はさくらだけど。弥空にはもっと、凛とした花の方が、似合っているように思う。
一人で呟く時雨は、苦笑を浮かべてまた杯を呷った。
妻の深夕(みゆう)とは、祝言の当日までお互い、顔も知らなかったけど。どこまでも優しく、しかし芯の強い彼女に時雨が惚れてしまうまで、そう時間はかからなかった。
婿入りしたその日からずっと、居場所のない近江屋の中で、深夕は時雨を庇い続けてくれた。いまでは弥空が、そうしてくれているように。
激しく互いを求め合ったり、情熱的に言葉を交わしたりはしなかったけど。深夕と共に在った短い時間は、いつも穏やかで温かかったように思う。
……そう、それはわかっているはずなのに。時雨は今まで、自分で思い出を封じていたのだ。彼女との優しい時間を思い出すようになったのは、最近のこと。
深夕を思い出せば、必ず彼女の最期を思い出してしまう。去来する辛い記憶に耐え切れず、蓋をしていた時雨。
痛みは今も、消えてはくれないけど。
――怖いの?
「…ああ、怖いね」
――ぼくがいるよ、時雨。
「そうだね」
――きっと大丈夫だよ…
ここにはいない、桜太の言葉。
どうしてこんなに、その言葉ばかりを思い出すのかわからない。しかし最近、深夕との悲しい最期を思い出すたび、いつも桜太の声が蘇ってくる。
あどけない少年の、柔らかな声。
深夕との思い出ごと時雨を包んで、慰めていてくれるように思えた。小さな手が懸命に時雨を掴んで、一人じゃないよと囁いてくれる。
そうして桜太の声が蘇ると、妻と過ごした優しい時間を思い出すことが出来て、傷つくばかりの時雨の心は、温かい光を取り戻すのだ。
酒も煙管も押しやって、時雨はごろりと横になった。
「あんたは凄いよ、圭さん」