直人(ナオト)はいつも、インターフォンを一度鳴らしてから玄関の鍵を開ける。
仕事用のノートパソコンを開いたまま、ぼんやり座り込んでいた惺(セイ)は、その音にはっとして時計を見上げた。
時計の針が指している時間は、10時。
夜の10時だ。
冬の寒さを感じない、エアコンの効いた温かなリビング。
放置されたままどれくらい経っていたのか、床に座り込んでいる惺が向き合うノートパソコンの液晶画面は、とっくに真っ暗だ。
直人が近づいてくる物音に、惺は素早くパソコンの電源を落とし、それを閉じてしまった。
朝から向き合っていたのに、ほとんど仕事が進んでいないのを知られるのは、なんだか面白くない。
ちょうど惺がパソコンをテーブルの端に押しやったとき、荷物を抱えた直人が、リビングに現れた。
「ただいま、惺」
「ああ。おかえり」
翻訳を依頼されている原書は、昨日から少しも進んでいない。締切りまで余裕があるからまだ急ぐ必要はないんだと、惺は一人、胸の内で勝手な理屈を持ち出して、開いたままになっていた分厚い洋書をぱたりと閉じてしまう。
コートとマフラーは玄関のそばにあるクローゼットにかけてきたのだろう。顔を上げて振り返ると、着慣れたスーツ姿の直人が、惺に微笑みかけていた。
「遅くなってごめん」
「いや…もっと遅いかと思っていた」
今日は出掛けに、遅くなると言っていたから。
最近の直人が「遅くなる」と予告する日、彼の帰りは大抵、日付が変わるギリギリの時間になる。
「その予定だったんだけどね…」
手にしていた鞄や、何かの包みを一度ソファーに置いた直人は、ネクタイを緩めながら溜め息を零した。その姿は大人っぽくて、随分と逞しく見える。
彼が卒業した嶺華(リョウカ)学院は中等部からブレザーだったが、制服と仕事の為のスーツでは、アイテムが同じでも雰囲気が全然違う。今の彼を、子供扱いする者はいないだろう。
もちろん幼いの頃から面倒を見ている、惺を含めて。
いまだにそうして、男っぽい仕草を見せられると、胸の辺りがきゅうっと詰まる惺には気付かず、直人はうんざりした顔で口を開いた。
「村木(ムラキ)先生がもう、限界でさ。急に飲みに行くぞー!って言い出して…事務所は全員強制連行だよ」
「じゃあ食事は済ませたんだな」
「ん〜…そうなんだけど」
目の合った惺が緩やかに手を伸ばすと、直人はいつものようにその手を取り、背の高い身体を屈めて唇を重ねた。