ちゅっと音をさせて離れてしまう直人の手に、惺が少しだけ力を込める。
仕事から帰宅した直人に、惺がこんな甘えた顔を見せるようになったのは、いつくらいからだろう。苦笑いを浮かべて惺の髪を撫でていた直人は、ちらりとキッチンに目を遣って、溜め息を吐いた。
「惺ってば…また何も食べてないんだろ」
「…忙しかったんだ」
「そういう問題じゃないって…食べないことを習慣にしちゃダメだよって、何度言わせる気?」
「必要になったら、食べる」
惺の身体はまだ、長い時間に捕われたままだ。日々の食事は必ずしも必要なものではない。
しかし直人は、毎日のように「食べることを習慣付けて欲しい」と口にしていた。
そんなことはどうでもいいから、と惺は直人の手を引っ張ったが、当の直人はその手を、優しく解いてしまう。
「何か軽いもの作るから、一緒に食べようよ。ね?」
「…必要ない」
「俺が食べたいの。付き合ってよ」
「直人…」
「お願い。愛してるから」
惺が背もたれにしているソファーに脱いだ上着を置いて、隣に腰を降ろした直人は、聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調でもう一度「食べよ?」と囁く。
自分より長い腕に包まれ、直人の肩に頬をすり寄せながら、惺が「仕方ないな」と嫌そうに呟いた。
「ありがと、惺」
「…ああ」
「じゃあ俺、着替えてくるから。テーブル空けておいて」
「直人…」
「ん?」
「…いや」
あっさり離れていこうとする直人を、引き止める言葉は浮かばない。
名残惜しい気持ちを口にはせず、惺は少し俯いただけ。それでも直人は座りなおすと、惺の顎を捉えてもう一度口付けた。
さっきよりも、深く。舌先で上顎の内側をくすぐられ、惺は切なく息を吐き出しながら、直人のシャツを掴んだ。
「ん…んっ」
ゆっくり離れていく唇を追いかけ、惺の舌が直人の口の端を舐める。直人は応えるように何度か濡れた音をさせ、唇を重ねたが、宥めるように惺の髪を撫でて、そうっと距離を取り、こつっと額をくっつけた。
間近になった穏やかな瞳。
惺だけを映している瞳は甘い曲線を描いて微笑んでいる。
「着替えてくるね」
「…ああ」
「すぐに戻るから、待ってて」
「わかった」
仕事の疲れを少しも見せず、すっと立ち上がった直人は、ソファーから鞄を取り上げようとして、一緒に置いていた包みに目を止めた。