【君が待っているからB】 P:10


「ちょっとやそっと働いて、返せるような額じゃないでしょ。ここを出るったって、金が要るし。住み込みのバイトでも見つかれば、話は別なんだけど」
「馬鹿なことを…」
「…すぐに出て行って欲しいの?」
 俺は壁に寄りかかってる自分が、笑えていないことを知ってたけど。……もう無理だよ。昨日から使えない頭を使いすぎて、疲れ果ててるんだ。
「そんなことは、言ってないだろう」
「そうかな…そう聞こえるよ。確か惺、じいサマに新しい家を探させるって、言ってたよね。それならすぐにここを出ていけるし、バイトも必要ないだろうって、そういう意味なの?」
「直人…」
「惺が望むなら、それでも構わないよ。借金かさむの困るけど、惺がそうしたいなら俺は大丈夫」
「…なにが大丈夫なんだ…」
「ん?なんだろ。…そうだね、明日にでもここを出て行ってあげられるよって、そういう意味かな」
 なんでそんな、驚いた顔するの?惺。
 そんなに見開いたら、目が痛いでしょ。
「ねえ、惺。俺言ったよね?惺のためなら何でも出来るって」
「いまだに一人が怖くて、廊下に蹲るような奴が何言ってる!」
「もう平気だよ」
「誰が平気なんだ!この間も発作を起こしそうになっていたくせに…っ」
 俺はびっくりして、壁から身体を起こした。どうしたの惺、なんで泣いてるの?
「惺…泣かないでよ…」
 俺は惺のそばまで行ったけど、どうしていいかわからずに立ち竦んだ。
 涙……拭いてあげたいけど、俺には触られたくないだろうし……どうしよう。
「心配しなくても、大丈夫だって。惺がいないなら、一人でも一人じゃなくても、俺には一緒なんだから…」
 すごく躊躇ったけど、ゆっくり惺の頬に触れてみる。
 唇を噛み締めてる惺が、俺の胸に頭を預けてくれたから。力を入れないように、いつでも惺が振りほどける程度の力で、そうっと肩を抱いてみた。
 惺の細い肩が、少し頼りなく見えるなんて。俺もいい加減、自惚れてるよね。
「ねえ惺、泣かないで。…あのさ、昨日考えてたんだよ。俺は一人が寂しくて、怖いってずっと思ってたけど…俺は惺に出会うまで、一人だったんだ。だから…元に戻るだけなんだよ」
 惺が腕の中で首を振ってる。
 俺には惺が何を伝えようとしてくれてるのか、わからなくて。もどかしかったけど、でもそのまま穏やかな声を心がけて、言葉を続けた。
「心配しないで…ね?惺は、惺が思うようにすればいいんだから」
 それだけ言って、抱いてた肩を押し返そうとしたのに。惺は俺の手を振り払って、強引に唇を重ねた。
 ちょっと……なにしてんの?!
「っ!せ、惺なにを…」
 離れようとするのに、惺は許してくれなくて。強い力で俺を引き寄せて、もう一度唇を重ねた。
 差し入れられる舌が甘くて、眩暈がしそうだ。びっくりしてる俺の舌を、無理矢理絡め取って吸われる。
 せっかく人が、諦めようとしてんのに。なにしてんだよ惺……。

 力が抜けて、ずるずるへたり込んでいく俺から唇を離した惺は、涙に濡れた瞳のまま俺を睨んでた。
「惺……?」
「その程度の、言葉だったのか」
「え、なに?」
「僕を好きだと言ったのは、僕が欲しいと言ったのは、その程度の言葉だったのか?つまらない自己完結で終わってしまう、そんな軽い台詞だったのか」
「ち、違うよっ!俺が惺を好きな気持ちは何も変わらないけど、でも惺が…っ!」
「うるさい!甘ったれるな!!」
 怒鳴られて、びくっと身体が竦んでしまう。なんなの……何を怒ってるの?
 惺はそのまま、後ろを向いてしまった。
「今日はこのまま部屋で休みなさい。明日からいつも通り学校へ行くんだ。いいな」
「でも…」
「僕に逆らうなっ!」
 大きな声で言い捨てた惺は、すごい勢いで離れて行った。
 そのままバンッ!て派手な音を立てて自分の部屋のドアを閉めたんだ。

 ……ちょ、ええっ?!
 何が起こったの?!
 俺はわけがわからずに、惺が口付けてくれた自分の唇に触れる。
 もう二度と触れられないのだと、昨日諦めたはずの、惺の唇。
 再び与えられたそれはあまりに甘くて、気が遠くなりそうだった。


<ツヅク>