「…愛されたことがないから、どうやって人を愛したらいいのか、わからなくて。自分がいなくなることで惺を幸せに出来るなんて、思ってもみなかったんだ」
「っ!そんなこと、誰が…!」
誰が言ったわけでもない。俺は首を振って、明るく笑った。
惺がまた俺のことを心配して、足を止めてしまわないように。
「やっと、わかったから」
「直人!」
「まだ間に合うよね?…出来るだけ急いで金作るから、もう少しだけ待ってね」
愕然とした顔で立ち竦む惺の前で、ゆっくりドアを閉める。そこまでが、気を張っていられる限界だった。
しばらくの間、惺がドアを叩いて声を掛けてくれたけど、俺は何も返せなかった。枕に顔を押し付けて、嗚咽を殺すのに必死だったから。
帰ってくる途中、ふと気づいたんだ。
そういえば俺、愛されたことないなあって。……気づいたらなんか、ちょっと楽になった。
母さんが仕方なく生んだ俺を、惺は同情して育ててくれた。
優しさを勘違いした俺は、知らないものに触れたことで有頂天になって、気持ちを押し付けることを愛だと思い込んだ。
愛してるって言葉はね、自分の中からすごく自然に生まれてきたものだったんだ。 惺を見てて、そばにいて。
なんか普通に、あたりまえのように「惺を愛してる」って思ってた。
でもそれって、間違ってるんだよね。
惺のために出来ることを必死に考えてたとき、俺は自分が子供の頃、惺に逢いたくて俺は生まれてきたんだって、そう思っていたことを思い出したんだけど。
勝手にそんな馬鹿なことを信じた、幼い自分に吐き気がしたんだ。
俺の間違いが、そこから始まってるってわかっちゃったから。
俺は何の目的もなく、とくに誰かに必要にされたわけでもなく生まれてきた。
そうして親に捨てられたとき、通りがかった惺の手を、死に物狂いで掴んだに過ぎないんだ。
ほんと、馬鹿みたい。
でも寂しくてしょうがなくて、やっと見つけた居場所を手離したくなくて、惺の迷惑も省みず、欲しい気持ちばかりを押し付けた。
離れて行こうとした惺の身体を、捕まえ犯して、必死に繋ぎとめようとしたんだ。俺は惺に、求めるばっかり。
俺にとって、最高の十年だったけど。
惺にとっては、最低の十年。
だからさ、考えなきゃって思った。惺を幸せにするために、何か考えないといけないんだって。
俺なんかに何が出来るか、わからなかったけど。出来ることを考えたんだよ。
一つだけ確実に、惺を幸せにできることは……俺がいなくなること。
わかったときは、泣き叫んだけどね。
でもそういう情けない俺に似合いの、結果だって思った。
朝が来ても、俺は全然眠れてなくて。
目なんか真っ赤だろうなって、わかってた。泣き過ぎだよ、十八歳にもなって。
そっとドアを開けたら、惺が同じように一睡もしていない様子でリビングにいて、驚いたけど。振り返った惺は、いつもと変わらない様子だった。
「…直人」
名前を呼ばれたら俺、その場に固まっちゃったんだ。
あと何回くらい名前、呼んでもらえるかなあって思ったら、返事なんか出来ない。……だって返事しなかったら、もう一度呼んでもらえるかもしれないじゃん。
そんなこと考えるなんて、ほんと俺、馬鹿だよね。
「高校には、行きなさい」
「惺…」
それが惺の答え?
ほんとに優しいね。
「何を考えているのか知らないが、とにかく高校は出ておきなさい」
「…あのさ。嶺華の学費って、高いんだ。とてもじゃないけど、三年まで通ったら返せないし。どうしてもって言うなら、落ち着いてから定時制の高校にでも通うよ」
嶺華学院は、ただの私立じゃないから。でも惺は厳しい表情でため息をついた。
「いまさらだろう…あと一年半だ」
「そうなんだけど」
一日でも早く退学したら、一円でも助かるじゃん。言おうとしたのを遮るように、惺は立ち上がって、俺に向き合った。
「ナツくんとアキくんの迷惑を考えたか?お前を嶺華へ入れる際に、後ろ盾となった泰成の顔にも泥を塗ることになる」
「そっか…そうだね」
ナツの自信満々な笑顔や、アキの優しい笑顔が思い浮かんで、俺はまた泣きたくなる。あの二人も、惺に出会ってから手に入れた宝物だから……返さなきゃいけないんだよね。
変だな。なんか、今の俺ってすごい冷静なんじゃない?こういうのも、開き直ったっていうのかな。
「他には何かある?」
出来るだけ明るく聞いた。惺は眉を寄せて、俺を見てる。
「何でも言って。俺に出来ることなら、全部するから」
「なら、在学中にアルバイトをするような真似はやめなさい。勉強が疎かになる」
「それは無理だよ」
「直人っ」