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どうにも、おかしい。
朔(さく)は眩しく輝く太陽を見上げた。西に傾きかけているお日様は、昼七つ(午後四時頃)というところ。律儀に朝夕二度、毎日必ずここを訪れる圭吾(けいご)なのだが……今日はまだ、その姿を現さないのだ。
あの、無理矢理酒を飲まされた日。朔の記憶からきれいになくなってしまった夜が明けても、圭吾は大して変わらなかった。
唯一変わった事といえば、鍵をかけていかなくなったことぐらい。毎夜酷い言葉で朔を責め立て、無理矢理身体を開かせるのは同じだ。
昨日の夜だって圭吾は執拗に朔の身体を抱いていたし、目が覚めたときにもいつものように、圭吾の姿はなかった。
ただ圭吾はなんの律儀さなのか、朝は必ず五つ(午前八時頃)、夜は遅くなることもあるがたいてい四つ(午後十時頃)までに、朔の元を訪れる。毎日届ける食事だけは、欠かしたことがない。朔が食べなくても生きていられることは知っているだろうに、いつも変わらぬ無表情で、食べ物を届けに来るのだ。
「…どうしたんでしょうね…」
心配しているわけではないが、繰り返されている日常が破られると、やはり気にかかる。まさか死んだりなどしてないだろうか。
圭吾の傍若無人な行いを思えば、捕らわれたりあるいは刺されたり、そういった事態も考えられないことではない。恨みに思っている者も少なくはないだろうし、役人に目をつけられるのも時間の問題だろう。
しかし、そうなれば朔の運命は振り出しに戻ってしまう。肌を重ねる相手が同一の人間でなければならないかどうかはわからないが、朔はどうにも圭吾以外の人間が考えられない。まったく同じ形の痣を持つ者など……再び出会えたりするものだろうか。
兄はどうしているだろうと、朔の脳裏を過ぎった。もう一度、幸せな出会いをしているだろうか。
洞窟の方の鉄格子に寄りかかり、朔は闇に耳を澄ませた。
大股に歩く圭吾の足音を探す朔の耳に届いたのは、止まったり、走り出したりする小さな足音。
「……?」
ここへ捕らわれて、初めてのことだ。圭吾以外の足音なんて。それも、どうやら男のものではないようで。
――女?…いや、子供?
連れてこられた時は気を失っていたし、朔はそれから一度もここを出たことがないので、この牢獄があるのは山奥だろうということしかわからない。そんな、子供が迷い込む様な場所だったのか?いや、だとしたら今までにも、誰かが足を踏み入れていたはずだ。
だんだんと足音が近くなってきた。
立ち上がってじっと見つめる、朔の視線の先。止まったり動き出したりする足音は、ようやく幼い子供の姿を現した。
「……え」
「あ……」
不安そうに周囲を見回していた少年は、驚いたように朔を見て。目を見開き、立ち止まった。
九つか、十というところ。
子供らしいまるい輪郭に大きな瞳。かわいい容姿は思わず、朔に弟を思い出させてしまう。
「あなたは…?」
「ふ……っ」
「ちょ、あの」
「ふええええっっ!」
ふにゃあっと顔を歪めて泣き出した子供は、朔が慌てて鉄格子の扉を開けてやると、こちらへ向かって駆け出した。
朔の元へたどり着くや否や、手にしていた包みを放り出し、少年は朔の着物をぎゅうっと握り締めて、取り縋って泣き声を上げている。
「…どうしました?迷ったんですか?」
「わああんっ、あああっ」
泣きじゃくる子の肩を抱き、背中を撫でてやって。膝を折った朔は、僅かならず衝撃を受け、ぎいっと鈍い音を立て揺れる扉を見つめた。
錠が引っ掛けてあるだけで、鍵が通されていないことは知っていた。いつでも扉を開くことが出来るのだと、わかっていた。でも朔は、それが何か大きな罪であるかのように、一度も触れようとしなかったのだ。
まるで自分が圭吾に捕らわれ、監禁されていることを忘れさせまいとでも言うように。
朔がここにいるのは圭吾の意思だと、けして心を許しているわけではないと……自分に、言い聞かせるかのように。
いや、今はそれどころじゃない。頭を振った朔は、慌てて少年の頭を撫でてやる。
「と、遠くてっ!」
彼はたどたどしい言葉で、朔に訴えた。