【君に逢いたくて〜参〜】 P:02


 洞窟の中は思ったよりも暗くて、怖かったのだと。想像していたよりも距離があり、どれくらい自分が進んだのかわからなくて、振り返っても出口が見えず、引き返せばいいのか進めばいいのか、決められなかったのだ。
 途切れ途切れに訴える言葉を辛抱強く聞いてやった朔は、やっと納得してふわりと微笑んだ。
「ああ…それは、怖かったですね。ほらいらっしゃい。こちら側は、明るいんですよ」
 少年の肩を抱いて、断崖側の明るい光に導いてやる。朔の穏やかな声と、開けた視界にいくぶん落ち着いたのか、彼はしだいに泣きやんだ。
「…落ち着きましたか?」
「うん…」
「では、名前を教えて下さい。私は朔と言います」
「…桜太(おうた)」
 名前を呟き、朔を見つめた少年。桜太は改めて見上げた朔の顔に、ぽかんと口を開け、穴が開くほど見つめてくる。
「どうしました。何かついていますか?」
 苦笑いを浮かべる朔に、桜太は慌てて首を振った。恥ずかしそうに下を向いたあと、おずおず顔を上げて、また朔を見つめている。
「…兄ちゃんは、歌舞伎の役者のひと?」
「え?いえ、違いますよ」
「ふうん…きれいなのに」
「…それは、その…ありがとう」
 容姿を褒められてもあまり嬉しくない朔だが、子供の無邪気な言葉を否定してやるのもかわいそうで、曖昧に微笑んだ。朔の笑みににこりと笑った桜太は、急にはっとした顔になり、慌てた様子を見せると、視線をさまよわせておろおろ手足を振り回す。
「桜太?」
「どうしよう…っ」
 絶望的な声を上げたかと思うと、今度はしゅんと肩を落とし、足元を見つめて。少年は自分の着物の袖を握りしめた。
「?…どうしようって…何が…?」
「兄ちゃんに怒られる…!」
 朔を見上げた幼い顔は、さあっと顔色が悪くなり、また泣きそうになってしまう。
「どうして。私は怒りませんよ」
「兄ちゃんじゃなくて、兄ちゃん。兄ちゃんに、兄ちゃんのところに来ても兄ちゃんと、兄ちゃ…に…あれ?」
 ……誰が、誰だった?
 自分の言葉に困り果てている桜太の可愛い混乱に、しばらく呆気に取られていた朔は、思わずくすくすと笑い出す。
「私のことは、朔と呼んでください」
「…いいの?」
「構いませんよ。ややこしいのでしょう?」
 照れてかあっと赤くなった桜太は、小さく「朔?」と呼んでみる。そうしてぱっと走り出すと持って来た包みを拾って、朔の元へ戻ってきた。
「兄ちゃんが、朔のところへお弁当を持って行ってくれって」
「…私に?」
「うん。兄ちゃん、仕事でしばらくいないから代わりって。…でもそのとき、朔と口を聞いちゃ駄目だって言われてたのに…」
 差し出された包みを開けてみると、小さな行李(こうり)の中には握り飯と漬物が詰められている。朔の顔からすうっと血の気が引いていって、青ざめてゆく。自分の指先が冷たくなっているのがわかる。
「…その、お兄さんの名前は、なんと言うのですか?」
「え?…圭吾だよ。圭吾兄ちゃん」
 気が遠くなる様に思った。あの極道者、こんな幼い子供まで攫っているのか。
 なんて愚かな。
 忘れてはいけないはずだったのに。あの男は金を奪うため、幼い子供まで手に掛ける様な人間なのだ。
 行李の蓋を閉じて傍らへ置いた朔は、桜太の小さな身体をぎゅうっと抱きしめる。
「朔…?」
「いつからあの男のところにいるんです」
「いつからって…ずっと…」
「…わかりました。桜太、一緒に行きましょう。私がお母さんの所へ戻してあげますから…」
 もう運命などどうでもいい。再び長い時間に捕らわれようとも構わない。この幼い子供を助けてやれるのなら、自分が地獄へ落ちてもいい。
 深刻な顔でじっと目を見つめてくる朔に、桜太はきょとんとした顔で首を傾げている。
「ぼくのお母さん、知ってるの?」
「いえ、私は知りませんが…家を覚えていないのですか?」
「???…あれ?」
 桜太はますます訳がわからないといった顔で、朔を見ていた。
「あの、朔…ぼくをどこへ連れて行くの?」
「ですから、あなたの家へ」
「大丈夫だよ、自分で帰れる。…ちょっと暗かったけど、もう平気。朔はここに住んでいるんでしょ?兄ちゃんが言ってた。訳があって、朔は一人でここに住んでるんだって。ここから出られないから、兄ちゃんが毎日ご飯を持って行くんだって」
 知ってるよ、と。自慢げに言う子供の言葉を理解しかねて、朔の方こそ眉を寄せる。