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[Novel:01] -P:01-


 それはもう、あまりに遠い日の曖昧な記憶で、思い出すことさえ億劫だった。細い首筋に手を当てた晃(コウ)は小さく溜息をつく。自分からは見えない、刻印。晃を縛り、繋ぎとめるもの。

 物事をあまり深く考えるタチではないから、気が遠くなるような時間の中でも、今までは大して気になどしてはいなかったのに。
 ……こんなに重くて、こんなに苦しいと思ったのは、本当に初めてだった。
 自分が何者かわからない、という不安。今までのように笑い飛ばしてしまえない自分が、苛立たしい。

 太陽をかたどった痣は、視線の先にいる人物が「探しモノ」ではないと告げている。ならば未だ厳然とそこへ刻まれ、晃を縛っているのだろう。
 今まで何百年という時間、そうであったように。



「え?…いやそれは…そうですけど」
 寝っ転がった床から見上げる視線の先。さっきからずーっと携帯で話している男を、晃は不満気な表情で見ている。
 ベッドに寄りかかった背の高い、大きな手の人物は、何度見てもどう考えても、間違えようもなく男だ。

 や、まあそれはいいけど。
 運命の相手、とかいうならやっぱり、女性だろうと思うワケで。晃が探しているヒトがこの男である可能性など、最初から限りなくゼロに近かった。
 一緒に暮らすようになって、可能性がゼロじゃないなら、と確認してみて。
 せっかく縋ってみたのに、無情にも可能性メーターはしっかりきっぱりゼロへ振り切れた。……だからこの男は、晃を解放してくれるはずの「運命のハニー」ではない。ないのだけど。
 なんか、どーにも離れがたくて。ずるずるそのまま、もうすぐ三年。探しモノではないとわかっているのに、同じ人物とこんなに長く一緒にいるのは三年という期限を自分に誓った時以来だ。

「や、でも…まどかが?そう言ったんですか?」
 ひくりと頬を引きつらせ、少し視線を少し鋭くする。男もわかっているのか、困った表情になって視線を泳がせた。
 ――7回目だ。
 まどか、という知らない名前の女。
 電話の相手ではないことなど、百も承知だ。だって、電話の相手は二階堂(ニカイドウ)という、イケすかない男なのだから。

 けして広くはない1DK。8畳には不釣合いな大きめのベッドを入れているせいで、より狭くなっている部屋のど真ん中。我が物顔で転がっていた晃は、にじり寄り彼の膝に手をかけて、身体を起こした。
「なあ、ヒロユキ。まどかって誰?」
 電話を切るタイミングではないことなどわかっているくせに、あえて電話の終わりを待つこともなく尋ねてやる。
 普段は無口でも、必ず真っ直ぐに晃を見てくれる宏之(ヒロユキ)なのに、困った顔で晃の髪を撫で、今度は身体ごと視線をそらせてしまった。
 晃のキライな二階堂といつまでも喋っている、というそれだけでもムカつくのに。話題は女のことで、しかも晃には隠そうとしていて。
「あの、あとでまた…ち、違いますよ!」
 なんとか携帯を切ろうとしているのがわかる。わかるだけに余計ムカつく。
 宏之をからかっているらしい二階堂の、にやけた顔が容易に想像できて、とうとう晃は立ち上がった。
「二階堂さん……まどかには、俺からちゃんと言いますから」
 ――8回目!
 ムリヤリ宏之の携帯を取り上げる。あれ?宏之くん?なんて間抜けな二階堂の声が聞こえていた。
「うっせーんだよ!男のクセにダラダラ喋ってんじゃねーッ!」
 怒鳴って、勝手に通話を切って、しかも電源まで落としてしまった。

 呆然と見上げている宏之の前で携帯を放り出した晃は、怒気満面で振り返る。
「なに……」
「まどかって誰だよ」


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