[Novel:02] -P:06-
二階堂だけが卑怯なわけじゃない。彼は逃げたというけど、自分だけが苦しいんだと、叫んだ女は自分のワガママで二階堂との未来を塞いでしまったのだ。
二人は、同じくらい傷ついて、同じくらい疲れていた。
いまになって、ようやく気付く。晃を殺そうとした彼女もやっぱり、何も話してやれなかった晃と同じくらい、疲れていたのだろうか。
……晃を失った宏之は、離れていく晃と同じくらい、傷ついてしまうんだろうか?
黙ってしまった晃を静かに見つめ、二階堂は少し話を止めた。待っていてくれることに気付いた晃が顔を上げる。
二人して、困ったように笑い合った。
「いい?」
「うん」
「正気に戻ったのは、まどかに会えなくなるってわかったときだよ。酷い父親だよね。家を出て行く時、パパどこに行くの?って聞かれて初めて、すぐに帰ってくるよって。言えないことに気付いたんだ」
「遅いって」
「ホントだよ。絶句してさあ、まどかは泣くしさあ、パパはもうまどかのパパじゃなくなっちゃうの〜っとか言うんだよ?泣きたいのはこっちだって」
小さな手を振り切った痛さは、きっと一生消えないだろう。
二階堂がおどけて泣くマネなんかするから。咄嗟に晃はまどかと同じ柔らかそうな髪に、手を伸ばしてしまっていた。
優しく撫でる手。いつもの軽口をおさめ、静かに撫でられていてやる。
「今でもあんたは、まどかを愛してて、どんなに苦しくてもそばにいるんだな」
満足したのか手を離す晃の行動は、二階堂を慰める為じゃなかった。それを鋭く察していてなお、にこりと笑い「当然でしょ」と応えた二階堂の強さが、とても羨ましい。
「でもいつかまどかは、あんたたちの事情を知るだろ?」
「そうだね。母親に対して冷たすぎた父親の正体を、正確に理解する時が来るだろうね」
晃は、いままで一緒にいた人たちを愛していたと、自信を持って言える。最後は傷つけてしまって、目を背けられ、詰られてしまったけど。
そうっと逃げるようにそばを離れたのは、晃の弱さなんだろう。
人は、どうしてこんな、たったの数十年で強くなれるんだろう?二階堂の何倍も生きているのに、晃はまだ迷うことばかりだ。
「怖く、ねーの…?」
いつか、まどかに詰られて。罵倒される日が来るかもしれないのに。
それでもきっと、二階堂はまどかから離れたりしない。
宏之のそばにいたいと思う気持ちは、いままでとどこか違うだろうか。少しでも、自分は強くなっているんだろうか。
逃げるようにこの街を、このまま去ったりしない程度には。
「……。ただの痴話喧嘩で、何をそんなにしょげてるのか、僕にはわからないけどね。後悔って後で悔いるって書くだろう?」
「うん」
「例えば自分の望まない、とても辛い事態が起こってしまったとしてもね。思い出すときに悔いるばかりじゃ淋しいと思わないかい?」
「…………」
「精一杯のことをした者だけが、出来るだけのことはしたんだ、楽しいこともたくさんあったって。言えるんだと思うんだよ」
「どんなに辛くても?」
「そ。嫌なことばかり考えてまどかのそばを離れてしまったら、僕が思い出すのは申し訳ないと嘆くことばかりだ」
悲しい未来を予測しないわけじゃないけど。思い出すときに、楽しい今がなかったなんて言いたくない。
いま、ケンカをしている最中の宏之から離れるのは簡単だ。
いつか、離れなくてはいけないのも揺るがない事実。
でもケンカをしたまま終わってしまったら、あの日コンビニで出会った瞬間に、身体が震えるほど彼を欲しいと思ったことまで後悔になってしまう。