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[Novel:03] -P:01-


 ファミレスの外から脱力する二階堂(ニカイドウ)を見ていた晃(コウ)は、どうやら店員に「大丈夫ですか」と声をかけられているらしい様子にひとしきり笑っていた。

 二階堂と話していて、思ったこと。
 苦しいからと逃げ出すようなマネはするまい、ということ。
 ちゃんと仲直りをして。
 ちゃんと宏之(ヒロユキ)を幸せにして。
 静かにこの街を去っていこう。

 宏之が晃を思い出すときに、確かにあったはずの楽しい時間を思い出してくれればいい。そうやって別れたなら、晃だって淋しい気持ちを噛みしめるのと同じくらい、幸せな時間を持っていられると思うから。

 ゆっくり息を吸い込んだ。吐きながら、もう一度携帯を開く。
「なんかな〜」
 二階堂は怒っていないと言うけれど。そんなことはわからない。覚悟を決めたとはいえ、何度やってもこういうのは苦手だ。自分から謝ることに慣れていない。
 宏之の携帯番号を呼び出して、発信ボタンを押した。
 初めて手にした携帯から考えたら、半分以下の重さと大きさになったそれを耳に押し当て、ゆっくりマンションに向かって歩き出す。
 画面に晃の名前が出たら、宏之はまず何を言うだろう?色々悪いことばかり考える、短い時間。
 呼び出し音を遮るように「コウ!」と叫ばれ、驚いて足を止めてしまった。
「…あ〜…えっと」
 えっとじゃなくて。まずは、ごめんなさい、と言わなければ。
『いま、どこだ』
「え?えっと、もうすぐ部屋着くけど」
『わかった!』
 プツ、ツーッツーッツー……
「……。あのワンコ体質め。聞けよ話を!」
 もう聞く人のいない携帯を怒鳴りつけ、苦笑いを浮かべてマンションの階段を上がる。
 二階の一番奥が晃の転がり込んだ、宏之の部屋。

 所属している劇団の舞台は深夜、TVで放送されたりすることもあるくらいには大きいけど。
 日本の劇団はまだまだ金回りが悪くて、看板役者といえど安い住居やバイトからは抜けられないのが現状だ。舞台の収益は全て、次の舞台にまわってしまうと聞いていた。
 でも、晃が転がり込んで狭くなった部屋も、少しだけ負担が増えた生活費も、気にならないと宏之は言ってくれる。
 長く生きているのに料理どころか家事全般、どうにも上手くこなせない晃を、責めたことなど一度もない。
「そういうトコがワンコなんだよなあ」
 とんとんと階段を昇って。鍵をさしたドアを開く。暗い部屋はしんと静かで、なんだか上がる気がしなかった。

 朝、宏之の携帯が叩きつけられた玄関に、靴を脱いで座り込む。
 振り返って、音のしない部屋をゆっくりと眺めてみた。とくにきれいと言うわけじゃないけど、すっきり整えられた部屋。普段は晃の嫌がることなど一つもしないくせに、これだけは譲れないんだと宏之が飾っている、二人の写真が目に留まった。
 ――出てくときアレも処分しねーと…
 自分の姿を映したものは、全て。
 消息を経つための、手馴れてしまった事前確認。
 きゅうっと膝を抱える。喉を突いて押し上げてくる重苦しいものに、泣きたくなった。

 いつまで、こんな風にさすらっていればいいのだろう。
 あと何年?何十年?もしかしたらまだ、何百年も。
 宏之の元を離れたら、一度同じ運命を負っているはずの二人を探してみようか、と。弱気なことを考えてみる。
 いまは宏之以外の人間を、宏之以上に愛せる自信が持てない。だからといって、何の目的も持たずに生きるのは、あまりにも辛いから。少し、自分が落ち着くまで、違うことをしてみるのも。たまにはいいかもしれない。
 ――でも、ヤダなあ……
 前提になっているのは、ここを、離れなければならないということ。

 いつかじゃない。そのうちでもない。
 ほんの、近いうちに。自分という痕跡を消してしまわなければ。
 いますぐにでも消えてしまいたい弱気が、再び晃を満たそうとしていた。


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