[Novel:03] -P:02-
立ち上がったのは、出て行くつもりだからというワケじゃなかったけど。ならどうするつもりだったのかと問われてもわからない。
ケンカをしたまま、仲直りもせずに、消えてしまうのは卑怯だと納得したはずなのに。本能的に身体が逃げようとしてしまう。
……でも、そうはしなかった。
バン!と派手な音を立てて、宏之が駆け込んできたから。
顔を見上げるより先に、抱きしめられてしまったから。
宏之の背中を抱きしめ返す自分が、さっきまで何を考えていたのかなんて、忘れてしまった。
「…コウ、探した…」
どれほど走ったのか、肩で息をする宏之の背中を撫でる。
「どこまで行ってたんだよ」
「駅…他に、思いつかなくて」
「ばっかだな〜…待ってりゃ良かったのに」
二階堂に会えなければ、帰ってこなかったかもしれないことなど言う必要はない。
少しだけ身体を押し返し、顔を上げる。宏之は額に汗を浮かべ、眉を寄せていた。
「帰ってこないのかと、思ったんだ」
「…そっか。安心したか?」
「ああ。…良かった」
頭を冷やすつもりで家を出て、まどかのことをどう説明しようかと考えながら携帯ショップへ行った。
やっぱり携帯は大破していて、画面の部分とボタンの部分は別に分かれてしまっていて。唖然とする店員から、前の携帯を持っていたら使えますよ、と哀れみに満ちた表情で説明され、取りに戻ったときには晃がいなかったのだ。
暗い部屋がとても冷たく見えて。
すぐに探そうと思い立って。
でも何も出来ないことに気付き、呆然とした。
晃と一緒に暮らしてもうすぐ三年だというのに、携帯が繋がらなかったらどこを探せばいいのかさえわからない。
ショップに駆け戻り、手続きをしてもらっている間に、出会ったコンビニへ行ってみた。晃が先月バイトを辞めているのはわかっていたが、他には思いつかなくて。
当然、晃はいないし来てもいないと言われ、手続きの終わった携帯を受け取り、すぐに電話をかけてみたが、出てくれなくて。
……晃は、宏之の全てを知っている。だからこそ、あれほど、知らない女の名前に反応したのだろう。
実家の場所、晃を可愛がってくれる宏之の二人の姉たちの携帯番号。全部教えてある。
思わずかけた姉たちの携帯。もちろん晃からの連絡はないというし、事情を聞きだされた挙句、駄目押しとばかりに「バカね!」と詰られる始末。
無口な自分の三倍は喋る晃なのに、気付けば宏之は何も知らなかった。
施設で育ったから、家族はいないのだと笑った晃。どんな子供で、どんな学生時代だったのか。これから先、仕事を生活を、どうして行きたいのか。宏之は何も、知らない。
宏之が役者を目指した理由も、静かに抱えている夢も、晃は全部知っているに。宏之だけが、なにも知らず、知らないことにも気付けなかった。
このまま会えなくなってしまったらと考えて、身が凍るほど怖くなった。どうしてか、変にリアルな感覚だったのだ。
ああ、だからこそ。
帰って来てくれたことが嬉しい。
ぎゅうっと小さな身体を抱きしめる。
駅の近く、晃と行ったカフェや、本屋。全部回った。華奢な姿をずっと探していた。
「どこに、いたんだ」
あんなにも、探し回ったのに。
「あ〜…灯台下暗し、ってやつ?」
「?」
「ファミレスだよ。すぐそこの。偶然なんだけど、二階堂に会ってさ…その、まどかの話、聞いてた」
顔を覗き込むと、晃は困ったように笑い、宏之の腕を抜け出した。ほてほてっと歩いていってベッドに腰掛ける。
手招きする晃に誘われるままに近づき、目の前に膝まづいて手を握った。
いまは少しでも触れていたかった。
「オッサンの娘なんだって?」
こくりと頷く。二階堂が話したのなら、きっと全部バレているのだろう。
「ったくさ〜。言えよな〜もー。バカなこと言いまくったじゃん」