[Novel:04] -P:06-
はあっと息を吐いて。開いた扉の向こう。
……思っていた以上に賑やかな空気の真ん中には、見知った人がいた。
「やっほ〜宏之くん。おはよ〜」
「……二階堂さん」
やっぱりだ。
今日現場へくる予定はなかったはずだが、初めて宏之が衣装をつけ、メイクをするという、こんな面白そうな日に来ないはずがないとは思っていた。
「宏之くんの悪役姿、見学に来ました!」
「来ると思ってましたよ二階堂さん…早いですね」
二階堂を取り囲む出演者達に頭を下げ、手近な椅子を引き寄せて鞄を置く。
「まあね〜。宏之くんちに寄ってから来たんだけど、今日バイクだからさ。途中で追い抜いちゃったかな」
手元の鍵を示して言う二階堂の言葉に、宏之は天を見上げた。
「やっぱり」
そんな気がしないでもなかった。
疑っていない、信じると。脅されて答えはしたが、どうにも引っかかっていたのは、いつもと違う晃の表情と、頭に浮かんだ二階堂の明るく意地悪な笑顔。
どうせ来てるんだろうと、言いかけた宏之の腕を、笑顔のまま二階堂が掴む。
「あのムダにうるさいマネージャー君は?」
「え…ああ、誰かと話し込んでたんで、先に来ました」
「そう。じゃあちょっと話があるからおいで。悪いんだけどさ〜、プロデューサーが来たら、宏之くんは二階堂に拉致られたから、撮り最後にしといてって。言っといてくれる〜?」
部屋を出て行こうとする二階堂は、宏之を捕らえているのと反対側の手をひらひら振って、共演者たちに笑いかける。「いいですよ」と明るく返してくれる正義の味方たちに頭を下げ、引きずられるまま宏之も部屋を出た。
どこへ行くんだろう。時間はないはずなのに。ずるずる引きずられながら、宏之は視線だけで晃を探していた。思い当たるのは、晃のことだけ。
絶対に来ているはずだ。
「何探してんの?」
「コウですよ。来てるんでしょう?」
「チビちゃんはいないよ。ここでいいかな。はい、入って」
会議室のような空き部屋に宏之を放り込み、二階堂は表示を「使用中」に差し替えると、いつになく真面目な顔で振り返った。
「二階堂さん…?」
何を言い出すのかと身構える宏之に、灰皿を見つけ出してきた二階堂は「何があった?」とタバコに火をつけながら聞いた。
「何って…?」
それは、こっちのセリフなのだが。
「なんかあったんでしょうが?こないだケンカしてからまだ日も浅いのに、何やってんだか」
「待って下さい、何を言って…」
二階堂の言いたいことがわからず困惑している宏之の前で、引き寄せた椅子に腰掛けた二階堂は、いつになく厳しい視線を上げる。
「確かに僕は、チビちゃんを迎えに行ったよ。一時間くらい前かな。前に携帯で連絡入れたとき、チビちゃんは宏之くんがイヤがるから行かないって言ってたんだけどね。どうせ行きたいだろうと思ったからさ」
吐き出した紫煙に巻かれて、宏之の胸騒ぎは激しくなっていく。
「ちょうど、チビちゃんが家を出てくるところだったんだよ」
「まさか」
だって、晃は部屋で宏之を待っていると言っていたはずだ。
「鞄抱えててね。どこ行くのって聞いても、誤魔化して答えないんだ。あの子、いつもは手ぶらで歩いてるでしょ。携帯と財布だけジーンズのポケットに突っ込んで。前、不安にならない?って聞いたら、帰るところがあるときは、余計な荷物を持ちたくないんだって言ってた」
必要なものなんて、鍵ぐらいだと言っていた晃。ふわりと笑った顔が印象的だったから、よく覚えている。財布も携帯も、帰るのに必要なだけ。誰かが待っている部屋に帰るなら、本当は鍵さえも要らないんだと呟いていた。
「何があったかなんて、本当は僕が聞くことじゃないのかもしれないけどね。でも君、チビちゃんに帰るところがないことぐらい、知ってるんでしょ?」
「………」
「あの子は子供に見えるけど、宏之くんよりずっと大人だ。もしかすると僕よりもたくさんのことを、人生から学んでいるのかもしれない。時々思うよ。どうしたらあんな、凪の海みたいな目で、世界を見られるんだろうってね」
二階堂や宏之と話しているとき、大騒ぎの中にいるとき。それはなりを潜めているけど。ごくたまに、晃は何かを悟りきった視線で前を向いていることがある。