[Novel:05] -P:02-
宏之は晃の腕を掴み上げ、細い身体を引きずるようにして、公園を出る。ダメだと、いくら抵抗したって晃では宏之を振り切ることも出来ない。
二階堂が言っていた。
TVには舞台とは違う難しさがあって、同じに思える作業はもっとタイトなスケジュールで進み、ついていけない者には二度と仕事なんか回ってこないと。
ここにいる宏之が、撮影を済ませて帰って来たのかもしれないなどと、都合よく考えられるほど、晃は能天気じゃなかった。
――なんでだよ…
今日という日がどれほど重要か、わかっていた。卑怯だと自分を罵りながら、宏之が夜になるまで絶対帰って来ないはずの今日、この街を出て行こうと決めたのに。
マンションが見えてきて、部屋への階段に足をかけても宏之は晃を離そうとしない。諦めに力を抜いて、大人しく後ろをついて歩く。
そういえば、あの公園で二階堂に会った時も、こんな風にして手を引かれて歩いていた。ずっと一人でやってきたのに、誰かに手を引かれてしまうと、おとなしくその後ろをついて歩いてしまう自分が、晃は恥ずかしいくらいに幸せだ。
どうだろう?この、心を裏切って身体が騒ぐ、歓喜。誰かが自分に触れているというだけで、自分を導く誰かがいるというだけで。一人じゃないんだ、と淋しがり屋の身体はすぐ人肌に流されてしまいたがる。
今は、それ以上。自分の手を引くのが宏之だというだけで……こんなにも、熱いのだ。
そんな場合じゃないんだと、気持ちだけは冷たく暗く、沈んでいくのに。
部屋を開けて、宏之は玄関に落ちていた鍵を拾った。明らかに新聞受けから投げ入れられたのだろう鍵。何も目印になるようなものがついていなくても、宏之は持ち主を知っている。晃のものだ。
「これも、捨てたのか」
呟いて、宏之は引きずり込んだ晃を部屋の中へ押し込んだ。慌てて靴を脱ぐ晃がよろめくと、強い言葉とは裏腹の優しい手が、細い身体を支えてくれる。
ダイニングテーブルに、二階堂から借りたバイクのメットを置いた。公園の傍らにバイク自体を置いてきてしまったことを思い出し、しかし部屋を見回している間に苛立たしさが募り、どうでも良くなってしまう。義理に厚い普段の宏之からは信じられないことだが、もう、それどころじゃなかった。
今更のように晃の本気を思い知る。
違和感には、ドアを開けたときから気付いていた。元からシンプルな部屋がいっそうシンプルになっていたからだ。
ダイニング、ローチェストの上。飾っていたはずの二人の写真がない。
キッチンに並んでいたはずのマグは一つになっているし、晃が気に入っていたはずのクッションだって見当たらなかった。
ダイニングから部屋の方へ晃を連れて行った宏之は、やっと手を離し、まるで何かを探す泥棒のような勢いで引き出しを開け、クローゼットを開いた。
もう、苦笑しか浮かばない。
「根こそぎかよ」
服も、靴も、タオルやペン1本さえ。晃の使っていたものは、なにもかも消えていた。
ベッドに目をやる。
枕もとの小さな紙切れに、一言だけ「約束守れなくてごめん」と書かれてあった。そこには署名さえなくて。
「なんの謝罪?」
ひらりと手にしたメモを晃に見せる。ぎゅうっと身体を抱きしめるようにして立っている晃の手に、宏之はそのメモを握らせた。
「こんな紙切れ1枚で、終わらせるつもりだったのか?」
「………」
「なんとか言えよ。いつもは良く喋るのに」
「ヒロユキ」
「許さない」
「待って」
「俺は、こんなこと許さない」
「やめてくれ」
聞きたくないと耳を塞ぎ、膝を折った晃はやっとの思いで止めていた涙を、また溢れさせていた。
宏之だけは、嫌なのだ。
傷つけられ、蔑まれて離れていくことに耐えられない。罵る言葉を聞いてしまったら、身体は死ねなくても心が死んでしまう。
「怒んないで…」
「コウ…?」
「オレを、嫌いにならないで。頼むから、もう行かせてくれ。これ以上ここにいたら…!」