>>NEXT

[Novel:05] -P:03-


 自分が言いかけた言葉に、晃は青ざめた顔で凍りついた。

 ――何を言うの?
 ――どうしたいの?
 ――ああ、オレは。
 また繰り返すのか?

 真っ青になって、がたがた震えだした晃の身体を宏之が抱きしめる。こんなに弱って、傷ついている晃を見るのは初めてだった。
「嫌いになんか、ならない」
 どこまでもどこまでも、晃にだけは甘い自分がいる。何をされても構わない。でも、別れるのだけは嫌だ。
 まるで自身を責めるような晃に、困惑する。どうしてという疑問符だけが、宏之の頭を占めていた。
「俺、なにかしたか?」
 聞いてみるのに、晃は違うと小さく呟いている。
「じゃあ、どうして?どこへ行くんだよ」
 ただかぶりを振るばかりの晃に、つたない自分の言葉が苛立たしかった。もっと色んな言葉で話しかけてやりたいのに、似たような台詞しか出てこない。
 考えて、考えて。
「…俺置いて、どこへ行きたいんだ?」
 囁くように呟いたその声は、ずいぶんと頼りない、縋りつくようなトーンだった。
 弾かれたように顔を上げ、晃は宏之を振り払う。
「行きたくなんか、ない」
「コウ…?」
「やだ…行きたくない…!っ…ヒロユキ、行きたくないんだ…行きたくないのに…どうして…!」
 どうして、自分だけ。
 こんなに大好きな人と、別れなければならない?なぜ今度だけは、仕方ないんだと諦めることが出来ないんだろう。

 身体を支えていられなくて、がくりと崩れる晃を、慌てて宏之が抱きとめてくれた。
 ゆっくり座らせてくれる宏之の腕を、握り締める。
 縋りつくように、白くなるほど握り締めた手。震えているのは指先だけじゃなくて。身体中が引き裂かれる痛みに悲鳴を上げる。
「…ヒロユキじゃ、ないんだ」
「なに?」
 もう、限界だ。
 何かを考えるだけの気力がない。

 言うべきじゃない。受け入れてもらえるはずがない。なにより信じてはくれないだろう。稚拙な嘘だと判断した宏之は、冷たい言葉で晃を放り出すかもしれないのに。
「オレの…さ、探して、るの、は…ヒロユキじゃ…ない…」
 最後の方は声にならなくて。
 宏之の顔を見ているのが怖くて。
 うつむいたまま立ち上がった晃は、キッチンに飛び込むと、置いてあった果物ナイフを握った。
「コウ!」
「いいから、ヒロユキ。…見て」
 手のひらにナイフを押し付け、思いっきり引いた。肉の裂ける鈍い感触と、焼けるような熱さが走る。白い手のひらが、血で濡れていくのがわかった。痛みはそのまま感じているのに、どうせ長くは続かないと知っている晃には、慣れた感触だ。
 慌てたのは、宏之の方。
 開けっ放しだった引き出しからタオルを取って駆け寄り、赤く染まっていく手に押し当てようとしたけど。
「大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ!」
「違うんだ、ヒロユキ…大丈夫だから、見てて」
 宏之を制する晃の手。ざっくりと裂けた痛々しい傷口は、慌てる宏之の目の前でゆっくりと出血を止め、じわじわ端の方からくっついてゆく。
「な…!」
 まるで、CGでも見ているようだ。そうでなければ、ジッパーが閉じるように。両側から消えていく傷は、一分もかからないうちに跡形もなくなった。
 目を見開き、立ち竦む宏之の手からタオルを取り上げた晃が、乱暴に自分の手を拭いてみせる。鮮血が拭われ、薄く血の跡だけが残っていた。
 そこに、傷なんて。
 まるで最初からなかったかのように。
「気持ち悪いだろ?」
「コウ…」
「死なないんだ、オレ」
 一度口からこぼれた真実は、晃自身を絶望させ、突き落としてなお火をつける。かあっと血が昇って、次から次へ溢れる言葉を止められない。


<< TOP
>> NEXT