[Novel:05] -P:05-
自分はこの断崖からダイブする日を数えているはずなのに、それが無邪気な子供のようだなんて、あんまりにも皮肉な話。
「ケンカもいっぱいしたよな。いっつもオレが暴走して、オマエのこと怒らせた。余計なこと言って、しなくてもいいケンカしてさ。ヒロユキが許してくれるからって、調子乗ってた」
「………」
「最初にオマエ見た時な、狂いそうなくらい欲しいと思ったんだ。絶対オマエだって、信じてた。でも、違って…ごめんな。勝手なことばっか言ってる。こんなだからオレ、ヒロユキを怒らせるんだよな」
重ねた手に力を込めて、宏之の手を引き離す。見上げたところに、それこそ泣きそうなほど歪んだ顔が見えたら堪らなくて、バカだと自分を罵りながら、晃は未練がましく宏之に抱きついた。
「最初は、ヒロユキみたいになりたいって思ってたんだ。オレ、なんにも変わらないじゃん?こんな風じゃなかったら、ヒロユキみたいに背も伸びて、カッコ良くなれたのかなって」
回した自分の手が、必死に宏之の広い背中を抱きしめていた。
「でも、違って。ヒロユキにぎゅうって、抱いてもらうのにちょうどいいなら、今の身体も捨てたもんじゃないな〜とか、さ。思うようになったんだ」
縋りつく。全身が、離れたくないと叫ぶ。
魂の求める存在などというものがあるなら、きっとそれは宏之のことだ。他の誰が運命の相手でも、晃が一番欲しいのは、宏之に違いない。
「ヒロユキと会ってオレ、今まで嫌いだったモンいっぱい好きになったんだぜ?信じられる?百年以上食べられなかった魚だって、美味いと思うようになった。大ッ嫌いだった自分のことも、ちょっとは認めてやれるようになった。芝居なんかつまんないってずっと思ってたのに、ヒロユキの舞台が終わるたび、次の舞台が見たくて仕方なかったんだ」
少しずつ、自分が変わっていくのがわかるから。いつまでもそばにいたいと祈るようになって。でも流れを止めない時間は、一人取り残される晃を嘲笑っていた。
抱き返してくれない宏之の手を淋しく思いながら、晃は懸命に身体を離す。自分を受け入れてくれない大きな手に、冷えていく宏之の心を感じたからだ。一刻も早く、離れなければ。……また、傷つけられる。
「ほんと、ありがと。短い間だったけど、感謝してる。オレはもう行くけど、仕事頑張って…」
俯いたまま、早口にいう晃の言葉を「なんだそれ?」と宏之は落ち着いた声で遮った。
「ヒロユキ…」
「随分、一方的だな」
顔を上げた晃の前にあったのは、いびつに歪んだ、見たこともない宏之の表情だった。口元だけが笑っていて、でも唇が震えている。目が少しも笑っていなくて怖かった。
よく知っている表情。みんな、この表情で晃を突き放した。
今また、宏之まで。
「あ、あ…」
言葉を紡げないほど、恐怖に支配されてしまう。身体が強張っていた。過去がフラッシュバックして、晃を傷つける。
――バケモノ!
――近寄らないで!
蔑みの言葉に、宏之の声色が重なっている気さえした。震える身体に宏之の手が伸びてきたのを感じると、晃は思わず目を閉じる。
どうせ治るんだろう、とズタズタに身体を裂かれたこともある。何度も銃で撃たれ、笑われたことも。
ああ、この身では。
傷つけあわずに誰かと離れることなど、どうしても叶わないのだろうか。
伸びてきた、宏之の手。
そっと晃を引き寄せて、優しく背中を撫でてくれた。
「どうしても、行くのか?」
予想外の問いかけに、混乱しながら晃は頷く。
「どこへ行くんだ?」
「まだ、決めてない…」
「そっか…じゃあ三日だけ待ってくれ」
「え…?」
何を言い出すんだろうと、顔を上げた。やっぱり宏之の顔はいびつに歪んでいて、でも笑みに歪んだ口元を裏切っている瞳は、蔑みではなく悲しみを浮かべている。
「どう?三日なら、待てるか?」
「あ…う、うん、大丈夫」
「ん。じゃあ俺、明日二階堂さんに会って、劇団を辞めること話してくるよ。この部屋の解約とかもしないといけないし、荷物もまとめなきゃいけないから、三日だけ待ってくれな」
今までに聞いたことがないくらい、流暢に喋る宏之の言葉を咄嗟には理解できなくて、晃は何度か瞬きを繰り返す。
「ヒロユキ…?何言って」