[Novel:06] -P:07-
手が震える。
死なないとわかっていた頃は、これくらいのこと、気にもならなかったのに。
「コウ、危ないよ…」
「…………」
「いくら治るって言われても、コウが怪我をするのは嫌だ」
「…………」
「な?やめよう?」
そっと手を押さえ、カッターを取り上げる。晃は宏之の顔を見ていた。震えが止まらない。
嬉しいのに。
怖くて仕方ないのだ。
「…ヒロユキ」
「なに?」
「ヒロユキ…なあ。オレが、必要?」
「…ああ」
「オレがどうなっても、一緒にいる?」
「どうした?」
「なあ!オレが、醜く老いていっても?!ぜんぜん可愛くなくなっても?!抱き心地なんか全然良くなくて、肌とかボロボロになっても?!」
しがみついて、訴える。
自分に泣き叫んだ女性たちの言葉が、いまになって理解できた。彼女たちはこんな恐怖に怯えたのだ。自分が変わってしまっても、愛してもらえるのか。自分だけが、老いてしまったら……
「俺も、年取るんだけど?」
苦笑を浮かべる宏之は、優しい目をしていた。最初に好きになったところ。底なしにあったかくて、優しくて。不器用だけど、いつも自分のことより人を優先してしまう。
宏之が、そばにいるのだ。
誰とも違う、晃が傷つけば、倍ほど痛そうな顔をする宏之が、これからもそばにいる。
信じていられるから、大丈夫。
晃は改めて、カッターを見つめた。
「やっぱ、貸して」
「コウ」
「確かめたいんだ。頼むから」
「傷は治っても、痛いのは同じなんだろ?」
ほら、こうやって。やっぱり心配そうな顔をしている。
晃は笑って、じゃあと手を差し出した。
「オマエがやって?」
「は?」
「オレ、手加減わかんないから。軽くていいからどっか切ってみて。ひょっとしたら、治んないかも」
「余計にダメだろ!」
「でも、確かめたいんだ…じゃあいいよ。自分でやる。指落すぐらい、深く切るかもしれないけどな」
「バカなこと言うな!」
「じゃあ、やって」
聞き分けのない晃に溜息をついて、仕方なく宏之はカッターナイフを晃の指先にあてた。
「…いい?」
確かめて。
頷く晃の髪を撫で、すうっと軽くカッターを引いた。ぷくりと浮かんだ赤い血が、白い指を流れていく。
じいっと見つめる晃は、表情をなくしていた。
「痛く…ないのか?」
「いたい」
「だから…ったく。ほら貸して」
晃の指を咥え、傷口を舐める。それでも、血の拭われた傷口は途端に血を溢れさせ、薄く切れた皮膚がくっつくことはなかった。
「コウ…?」
うつむき、肩を震わせるから。
よほど痛かったのかと、宏之がその顔を覗き込もうとした瞬間だった。
「っぷ、あははははは!ヒロユキ!血が止まんねーよ!あははははは!!すげえ痛い!」
弾けるように笑いながら、晃は宏之に抱きついた。思いっきり抱きついて、声を上げ泣き笑う。
もう、一緒に刻印を受けた二人は、幸せになっているだろうか?もしまだなら、教えてあげたい。
どんな犠牲を払っても。
どんなに傷ついても。
その足を止めるなと。ただ信じて、前に進めと言ってあげたい。旅の終わりにある約束の場所は、とても普通のところで、どこより明るく幸せなところ。
痛い痛いと笑いながら抱きついてくる晃を、宏之は困惑気味に抱きしめていた。
カーテンの隙間から少しずつ部屋を明るくしていく太陽は、今まで晃を苦しめ続けたのが嘘のように、祝福に輝いている。