[Novel:12] -P:01-
オレは手を止めて、顔を上げた。たぶん、かなりマヌケな顔をしていたと思う。
「…なに、それ?」
「は〜い、手は止めないで〜」
いつもののんびりした声で指摘され、慌てて作業を再開する。
朝から呼び出され、やらされてるのは生クリーム作り。…変か。生クリーム作ってんじゃなくて、生クリームを必死で泡立ててる。角立つまでって言われて。……角ってなに?とりあえず、目の前の美沙(ミサ)ちゃんがOKを出すまでは、このボウルを抱えてなくちゃいけないらしい。
ここは、美沙ちゃんの家。宏之(ヒロユキ)のマンションから駅一つ。美沙ちゃんは宏之の上の姉さん。もう結婚していて、子供もいるのに、そんなの信じられないくらい童顔で可愛い人だ。
オレも最初は騙された。まさかこんなナリで、こんな喋りで、家族最強だなんて。
「スポンジが焼けるまでに間に合わなかったら〜…怖いのよ〜?」
ふふ、なんて笑ってるけど。本気で怖いから必死になって泡立てる。
宏之の家族で、オレが一番初めに会わせてもらったのがこの美沙ちゃん。
付き合ってる、とオレのことを紹介した宏之に、美沙ちゃんは「あらあら〜」って笑ってたんだけど。宏之がオレに「五つ年上の姉さん」って言った途端、立ち上がった。その時さ誕生日の関係で、四つ上の時期だったんだって。もう、無言で鉄拳制裁……笑顔のままなんだぜ?!怖いのなんのって。宏之ボコボコにした後で「お姉さんじゃなくて〜美沙ちゃんと呼びなさいね〜」って言われたら、オレは頷くしかなかった。それ以来オレは美沙ちゃんのことを、敬意と畏怖を込めて「美沙ちゃん」と呼んでいる。
ちなみに下の姉さん、麻由ちゃんはいまだに独身だけど、やり手キャリアウーマンの普通の人だ。ちょっと口が悪いくらい。オレに「美沙姉には逆らうな」って溜息ついて教えてくれた。
宏之のおかげで、気が狂いそうな長い時間から開放されたオレは、今も仲良く宏之と一緒に暮らしてる。まあ、ケンカもするけどね。相変わらずオレが一人で勝手にキレて喚いて、宏之を困らせてるだけなのかな。最近なんかさ、ワガママなオレに宏之がよく言うの。年上のくせにって。
それはさ〜言わない約束ってヤツじゃん?
姉さん達にしか会ってなかったオレは、今年の初めに宏之の両親にも会わせてもらった。
一緒に暮らしてる。一生一緒に生きていく。晃(コウ)以外考えられない。許してもらえないなら、二度とこの家には帰ってこない。って。
淡々と語る宏之を、オレは呆然として眺めてた。なんでそんなこと言うんだろうって、思って。
だってさ、許してくれるわけないじゃん?宏之は長男で、三番目にやっと出来た息子。男の恋人なんて、認められないに決まってる。案外あっさり許してくれた姉さん達と両親では、事情が違うだろ?
同席してた美沙ちゃんたちは何にも言わないし、お父さんもお母さんも黙ってるし、オレは居たたまれなくて逃げ出したかったけど。長い沈黙の末に、お父さんは「わかった」って言ってくれた。それで、オレに向かって「この子は容量の悪い子だが、君はいいのか」って。聞いてくれて。
そんなもの、聞かれるまでもないけど。せっかく宏之がスジ通したんだから、オレも正座して、ごめんなさいって。オレも宏之以外は考えられないんだって伝えた。
黙ってるお父さんの隣で、お母さんが「あなたのご両親は?」って聞いてて。言葉に詰まったオレの代わりに、美沙ちゃんが「晃くんにはご両親がいないの〜つまりあたしたちしか家族はいないのよ〜」って。
オレさ、初めてだったんだよ。誰かに家族だとか、言われたの。本気で情けないくらい、ボロボロに泣けてきて。頭を撫でてくれる誰かの手に驚いて顔を上げたら、お母さんが一緒に泣いてくれてた。辛かったわね、って。でも生きててくれて良かったわって。まるで、本当の母親みたいに。
お父さんが、あとで言ってた。生きていてくれれば、もうなんでもいいんだ。宏之が本当に望むことなら、反対はしない。……子供の頃、事故で死にかけた宏之を、命懸けで助けたお父さんだもん。重い言葉に、オレはまたボロボロに泣いちゃって。今度はお父さんにまで、頭撫でられちゃったんだよ。
宏之がどれほど愛されて育ったか、オレは身を持って知った。ああこの人たちが宏之を育ててくれて、本当に良かったって思ったよ。
だからオレは、たっくさんのごめんなさいと、ありがとうを宏之の家族に送って。彼らの家族にしてもらった。
舞台にTVに忙しい宏之より、オレの方がお母さんやお父さんに会ってるんじゃないかな。煮物が余ったとか、寿司を作ったとかって電話をくれるたび、宏之の実家に飛んで行く。お母さんが嬉しそうに迎えてくれて、間違ったことするとお父さんが怒ってくれる。
全部、宏之のくれたもの。とっくに諦めていた、きらきらと美しいもの。
何度も、生きていることに疲れて大事な人を傷つけてきたオレだけど。ここへたどり着くための過程なんだったとしたら、そう悪いものじゃなかった気がしてる。
毎日が、ほんとに新鮮で楽しい。
家の近い美沙ちゃんは、何かと体調を崩すたびに、忙しい宏之に代わってオレの看病をしてくれた。