[Novel:12] -P:09-
「こんなものいらないの、私に何も与えないで、愛してくれるだけでいいの、どこへも行かないで〜!って。泣いて叫んで混乱して」
「どうしたの?」
「逃げた」
「…は?」
「失踪したんだよ。初日の一週間前に!」
はあ…と、二階堂は溜息をつく。
「本気で大変だったんだよ!探しに行くって、元春までいなくなるし…。柱の役者が二人もいなくなって、幕上がるまで一週間しかないのに、椿はともかく元春の代役なんか見つかるはずもないし。これは本気でヤバイんじゃないの、って。…あの時だけは僕も逃げたかったなあ」
すげえ……信じらんねえ。あの京子ねーさんが舞台放り出していなくなるなんて。
混乱したっていうけど、何でそんな、ねーさんは追いつめられたんだ?彼女の誕生日に花買うのなんか、普通のことじゃね?
「まあ、結局は三日ぐらいして連絡ついたし、前日には二人とも帰ってきたんだけどさ」
「良かったじゃん」
「良くないよ…どんなけ大変だったか。文句言いたくても、目ぇ真っ赤に腫らした椿の顔見たら、ただでさえ言葉なんか見つからないのに。隣で元春が、あの顔で謝り倒してるんだよ。言えないでしょ」
「そりゃ、言えないよな」
松井さんが本気で謝ってくれて、許せない人がいたら会ってみたい。くしゃあ…って顔歪められると、みんななんか、怒ってた自分に笑えてくるんだよ。
「…椿はね、常に怯えてるんだ。元春がいなくなることを、いつも怖がってる。今でもだよ。それを知ってるから、元春は何もプレゼント贈らないんだ。いつも、ありがとうずっと愛してるよ京子、って言うんだってさ」
「……あの顔で?」
「そう。あの顔で」
笑っちゃダメなんだけど、ちょっと笑える。松井さん、真剣な顔して愛してるとか言うんだ〜。当たり前だけど、松井さんがねえ。
そうかあ。松井さんにとっては、何も贈らないことが京子ねーさんへの愛情表現なんだ。そうすることが最初の気持ちと変わらず、ねーさんを想ってるって意味なのか。
……あれ?今、なんか引っかかった。胸の奥がチクってした気がする。
「どうかした?」
「なあ、松井さんが何も買わないのって、ねーさんが望んだからだろ?」
「そうなるね」
「変わらない気持ちが、そこにあるからだよな?」
「そうだよ。…なに考えてんの、チビちゃん」
「ほえ?!」
オマエ、絶対超能力とかあるだろ!長いこと生きてて一度もホンモノに会ったことないけど、二階堂だったらありえるんじゃね?
咄嗟に目線をそらせたのに、鋭い二階堂には自覚してないことでも見抜かれる。
「また碌でもないこと考えてんじゃないの君は。なんでもかんでも、自分達に当てはめるんじゃないよ」
「でも……」
「君は椿じゃないし、宏之君は元春じゃないでしょ。何が気になってるの?話してごらん」
あ〜あ。何度目だろこのパターン。
言わないけどさあ、オレはアンタの何倍も生きてんだぜ?なのにどーしてこう、毎回毎回、オレの言わないことに気付いて、オレの話、聞きだしちゃうのかな。
がっくり脱力して、ダイニングテーブルに懐きながら仕方なくぼそぼそ話し出す。
「…オレさあ、ヒロユキとプレゼント贈りあうとか、今までしなかったんだよ。オレが勝手に別れなきゃ〜とかって、思い込んでたことは言ったよな?」
「詳しい理由は、いまだに教えてもらってないけどね」
言えるかっ!
「それは忘れとけよ…。いやだからさ。オレ、ヒロユキになんか貰うの怖かったんだ…モノって残っちゃうし」
残るなら、捨てなきゃいけなかったし。
「でもずーっと一緒にいること決めて…決めたんだけど、そういう習慣ってそのままで…なのに今日、ヒロユキがオレに何か買ってるらしくてさあ…」
死を与えられないという、大きな障害を乗り越えて、最大の変化を受け入れたオレなんだけど。今がとても幸せだから、これ以上何かが変わること、怖いんだ。
「まったく…チビちゃんは何か、いつも崖っぷち思考だねえ」
二階堂がテーブルに転がってるオレの頭を撫でてくれる。細い指が髪をくぐるの、気持ちいい。
「そんな、オオゴトじゃないよきっと」
「そうかあ…?」
だったら、そのままでも良かったんじゃねーの?オレには宏之の意図が掴みきれないよ。
「宏之君はもともと、イベント事を大事にする家の子でしょうが」
「まあ、そうかな…」
美沙ちゃんは必ず、クリスマスにケーキ焼くし。お母さんも正月には、毎年おせち作ってるみたいだし。
「したい気持ちは常にあったんじゃないの?きっかけを探してて、それが今日なんだって。僕はそう思うけど?」
よしよし、と慰めてくれる手は、オレが顔を上げると離れていった。
「オッサンがそういうなら、そーなのかな」
って、言えちゃうぐらいには、オッサンの洞察力を信用してる。だって、今まで外されたことないもん。