血まみれで帰宅したウィルを見た途端、母親のアメリアは卒倒しそうになった。
息子が力強く彼女の腕を掴まなければ、また過去の記憶を蘇らせて、錯乱していたかもしれない。
自分の身に付いている血が、全て患者のものであることを話し、ようやく母を納得させる。大雑把な説明を付いて来てくれたエリクに任せて、ウィルはとにかく身体を流し着替えを済ませた。
すぐに戻ってシーサイドエンドに帰るエリクを見送ったが、その後もなかなか、王宮へと足が動かない。
疲れた様子の息子を気遣う母を見て、苦笑いが浮かんだ。
―――オレも、母さんも…一緒だ。
記憶を消され、レフの前から排除されても仕方ない。彼を傷つけるばかりで、何の価値もないのだから。
結局、母が王宮を去ることになったのは、そうしても問題のない存在だったから。彼女が何か、大きな役割を担っていたら、レフとの関係だけでは判断されなかったかもしれない。
今の自分も、同じ。
皇太子クリスティンの主治医になるなんて、まだ形のない夢にすぎない。もちろんウィルは本気で叶える気だが、今の彼はただの子供だ。
食卓の椅子に腰掛け、ぼんやりと居間の本棚を見つめる。ウィルは重たい溜め息を吐いた。
「ウィル…ねえ、お父さんがもうすぐ帰ってくると思うから…王宮へ行くのは、明日にしたら?お父さんに連絡してもらって…」
「母さん」
「え?」
「ここにある本って、王宮の方にいただいたんだよな?」
「あ…ええ、そうよ。どなたかはわからないのだけど。皇太子殿下と同い年で、とても優秀な子供がいると聞いたからって」
「そう」
頷きながら、苦く笑った。
自分が最愛の人の息子だから、彼は何かしたいと思ったんだろうか?確かめたことはないが、これを贈ってくれたのがレフだということは、まず間違いない。
見たこともないような、珍しい絵本。
これらを手にしたときの感動を、今でも覚えている。
それまでのウィルにとって、本を読むのは内容よりも、文字を記憶することが快感なだけだった。何が書いてあるのかに、興味なんかなかったのだ。
でもこの、たくさんの本を見て。
この世界には、知らないことがたくさんあるのだとわかって。
知識欲に芽生えたのは、レフの贈ってくれた本がきっかけ。自分は彼に、たくさんのものを貰ってばかり。
命も救ってもらった。生きる指針も与えてくれた。
自分の方は、何の役にも立たない存在なのに。
「母さん、頼みがあるんだけど」
「なに?」
「木の実の菓子、作ってくれないかな」
「え?でもウィル、毎年いらないって…」
「出来れば今すぐ作って欲しいんだ…母さんが作ったのを、差し上げたい方がいるから」
これくらいしか、自分には。
大人びた顔で頼み込む息子に、アメリアは首を傾げながらも頷いてくれた。
台所に立つ母をじっと見つめる。
我が母ながら、美しい人だと思う。
優しくて、明るくて、でもどこか頼りなくて。男なら誰でも、手を貸してあげたいと感じるような女性。
これがレフの愛した人。