皇太子の私室から繋がる広いバルコニーを見上げ、庭を歩いていた第二王子アンゼルムは驚いて足を止めた。
まるで射抜くような鋭い視線で、階上の人物を睨みつける。
隣を歩いていた線の細い人物が、そんなアルムの様子に戸惑いながら、同じように足を止めた。
「あの…何か…?」
「いや、別に」
「アルム様…」
「何でもない。行こう」
大股に歩き出したアルムは、慌てて駆け寄る足音に気付いて、すぐに立ち止まる。
淡い紫の長い髪を揺らしてアルムに追いつくと、彼は申し訳なさそうに頭を下げた。
顔を上げたのは、目が合うだけで心まで奪われそうな美貌。
紫水晶の瞳は本当に宝石のようで、どこまでも澄み渡り、覗き込む者の理性を揺らがせる。
今はちょうど、少年と青年の端境期(ハザカイキ)。華奢な肢体に儚げな雰囲気を持つ、紫の賢護石(ケンゴセキ)。
アルダの跡を引き継いだ、新しい紫の賢護石は、その名をファンと言った。
新しい紫の賢護石ファンが王宮に上がったのは、つい三ヶ月前のことだ。
ファンはそれまで、生まれてからずっと生家で、療養を続けていた。
自分の寿命すら、自らの意志で制御できる賢護五石(ケンゴゴセキ)。彼らが何の準備もないまま死を迎えることなど、ほとんどない。
しかし前の紫の賢護石アルダは、皇太子クリスティンを庇って唐突に命を落とした。賢護五石が不慮の死を遂げたのは、実に数百年ぶりの出来事だったのだ。
誰も予想出来なかった、唐突な転生。
生まれたその時から襲いかかる、強大な魔力と膨大な記憶。
この世に迎えられた瞬間から、ファンはすでに精神的な混乱の中にいた。
常識を越えた速度で成長する身体に心が伴なわず、魔力を制御することも出来ない。その上、自分のものであって自分のものではない記憶が、果てを知らぬほど襲い掛かる。
生まれてから今まで、誰にも彼を救うことが出来なかった。
緑の賢護石は治癒能力を持つが、それはあくまで身体の傷を治すものであって、心の傷は専門外。なにしろ今まで、そういった賢護石のメンタルなケアをしてきたのが、紫の賢護石なのだから。
両親の元にいる方がいいだろうなんて、偽善でしかなかったはずだ。
王宮では紫の賢護石の不在を埋めるのに忙しく、ファンの症状を思い遣るところまでの余裕はなかった。
もちろん賢護石たちは彼を心配し、どうにかしてやりたいと胸を痛めていたのだが。結局は誰も、現状を変えるだけの策を持っていなかったのだ。
そこへ現れたのが、賢護五石に対する医療を研究し、一応の結果を導きだしたウィルト・ベルマンの存在だ。
ようやく見えた一筋の光明。
周囲の期待に応えるべく、ウィルは王都へ戻ってから、足繁くファンの生家に通っていた。いつもヒマそうにレフにまとわりついているように見えて、ほぼ毎日彼は、ファンの元にも訪れていたのだ。
同時に王宮ではクリスが誰よりも熱心に、一刻も早くファンを王宮へ呼んでやれるよう働きかける。
彼らは諦めの悪い共犯者。
いつだって同じ望みのため、背中合わせで戦い続けている。
二人の努力は功を奏し、ウィルの帰還から一年足らずで、ファンを王宮へ呼び寄せることに成功した。
ようやくその時を迎えたクリスは、なぜかウィルではなく、弟王子のアルムにファンの面倒を見るよう要請した。