現在、ウィルト・ベルマンの私室は、国王陛下の居住区、中央殿の隅にある。
一階西側の一番奥。周囲は倉庫や衣裳部屋という、あからさまのほど僻地だ。
皇太子クリスティンの意向で、隣合った二室の壁を抜き、広々としたスペースを確保しているものの、住まいであり、研究室でもあり、診察室でもあるという。なんだか雑然とした空間。それでもウィルは、この部屋を気に入っていた。
ここは侍従や使用人たちの使う外階段に近く、三階のクリスの部屋までもすぐ。西の端だから、中央殿とレフの住む西館を繋ぐ回廊は、目の前だ。
それにこの場所なら、出入りが人目につきにくく、医療棟ではなかなか診てもらうことが出来ない人々も、気軽に訪れることが出来る。
多少、日当たりの悪いことを除けば、ウィルにとって充分に落ち着ける、都合のいい場所だと言えた。
ウィルの立場は王宮の中で、着実に大きなものになりつつある。
クリスの後ろ盾があるのはもちろん、彼自身が確かな結果を出していることが、最も大きな理由だろう。
長く不在だった紫の賢護石(ケンゴセキ)も、本調子とはいかないが、ウィルの尽力でなんとか祭礼を努められるまでに回復している。病弱だった皇太子が寝込むことも少なくなった。
何より王宮内で働く人々にとって、信頼できる医者が身近にいることは、働く意欲を向上させている。自分たちのみならず、その家族までも、王宮内で気軽に診てもらえるのだから。
しかしその分、ウィルの日常はどんどん忙しくなっていた。
昨夜は明け方までクリスに付きっきり。久しぶりに熱を出した王子様のため、看病と見張りに明け暮れた。
その前はファンが体調を崩していたし、その前は街中で起きた騒乱の鎮圧に出動していた兵士達を、朝から晩まで手当てして。
なんだかんだと寝る間を惜しむ忙しさだったために、もう一週間以上、レフの顔を見ていない。
忙しい毎日なのは、誰の目にも確かだ。
ただし、ウィルが自分からレフの元へ出向こうとしなのは、忙しさが理由ではない。
部屋で書き物をしていたウィルは、バタバタ近づいてくる慌しい足音に顔を上げる。何事かと振り返ったとき、ちょうど部屋の扉が外から叩かれた。
「ベルマン先生!ご在室ですかっ」
「どうぞ」
勢いよく開いたドアから入って来たのは、黄の賢護石の補佐官だ。顔なじみの彼が血相を変え、足早に近づいてくる。
「どうかされましたか?」
「それが、レフ様が…っ」
訝しげに首を傾げるウィルの前で、ぜいぜいと息をつく。話に耳を傾けながら、ウィルは水差しを手に取った。
「レフ様が、どうなさいました?」
「ここのところ食欲もなく体調が優れないご様子で、私たちも気にしていたのですが」
「それは…存じ上げませんでした。まあとにかく、これでも飲んで」
のんびりとした様子で差し出したコップを呷り、喉を潤した男は、何をのん気なと眉を顰めている。