【この空の下に@】 P:09


「誰の権威を笠に着ているのか知らないが、お前はそんなものを強さだと思っているのか?自分が助けてやったなどと、偉そうに。お前は他人の力をひけらかしただけで、自分では何もしていないだろうが」
 泰成は押された胸に手を当て、厳しい言葉に混乱していた。
 似たようなことなら、何度も言われたことがある。しかしどうしてこの男が言うだけで、自分は耳を貸しているのか。
 力も、立場も。自分の方が勝っていると思うのに。
「…あんた、名は?」
「知る必要はない」
 問いかけに不機嫌そうな顔をした男は、踵を返して歩き出した。
「ちょ…待てよ、おい」
「指図するな」
「指図じゃないだろ、今のは」
 すたすたと、さっき撃たれたことなど忘れたかのように歩く男を追って、泰成も歩き出した。

 横に並んだ背の高い泰成を見上げ、男は溜め息をつく。
「どこまでついてくる気だ?」
「あんたの行くところまで、かな」
「いい加減にしろ。帰れ」
「嫌だね。…どこまで行くんだ?」
 男は町の中心にある大きな十字路を越え、まだ北へ向かう。
 ここから先は教会の廃墟と、古い墓地があるだけのはずなのに。
「好奇心は猫をも殺すと言うだろうが」
「堪能な日本語だな。聞き慣れない声で母国の言葉を聞くのは久しぶりで、新鮮だ」
 首都にいた頃はともかく、この町に来てからは日本語を喋るのなんて、秀彬と自分くらいだったから。
 嬉しそうな顔で勝手に話す泰成を見て、ようやく男は足を止めた。
「…どうしたいんだ、お前は」
「とりあえず名前が聞きたいな」
「聞けば立ち去るのか?」
「そういう、交換条件みたいなことが好きなのか?」
 揶揄するような言葉が気に触ったのか、男はむっとした表情になった。
「私がいまだ、あんたが警官に撃たれたことや、撃たれたはずの傷について追求しないのは、どうしてか。気にならないか?」
「追求したいなら、勝手にすればいいだろう?」
「答えてもらえない問いかけをするほど、愚かじゃないさ。だから、答えてくれそうなことを聞いてるんだ」
「…………」
「あんた、名前は?」
 性懲りもなく同じことを尋ねる泰成に、男は眉を寄せる。
 廃墟を傍にして、殺人現場になってもおかしくない、凄惨な場面を見た後に、この屈託の無さはなんだろうと。静かな瞳が探るように泰成を見つめている。
 その表情に何を思いついたのか、泰成は肩を竦めて見せた。
「古来からの方法に則るべきか?なら、私が先に名乗ろう。私の名は泰成。笠原泰成という。天下泰平の泰に、成功の成だ」
 微笑さえ浮かべて名乗る泰成に、一瞬呆れた顔を見せた男は、すぐに眉を寄せる。
「誰が聞いたんだ、そんなこと」
「で、あんたは?」
「答える義理はない」
 再び歩き出した男を追い、今度は前に回った泰成が、後ろ向きに歩いて男を見つめている。
「不思議な男だな、あんたは」
 呟いた泰成は、ふっと頬を緩めた。
「あんたを追い詰める方法を、いくつか思いついているんだが…不思議とそういう手段は使いたくない気分なんだ」
 くるりと男に背を向け、手にしたままになっていたコートをひらりと羽織る。長身の泰成がやると、東洋人がやっても気障には見えないから不思議だ。
「この先は廃墟だろう?私もこの町に来てから、何度か見物に来たが…まさかあそこに寝泊りしているのか?」
 昼間に来ても鬱蒼とし、ぼろぼろに朽ちて埃塗れになっていた教会。装飾も何も全て新しい教会へ移され、ただ壊れた木の椅子がいくつか転がっているだけだった。
「お前は…何がしたいんだ」
 男が立ち止まった気配に、泰成が振り返る。
「名前を教えて欲しい。今はとりあえず、それだけだ」
 にこりと微笑んだ表情から何を感じたのか、男は今までとは少し違う感じの、苦い表情を浮かべた。
「…僕の名を知って、それが何になると言うんだ」
「呼びたいんだよ」
 当然のことを、答えただけなのに。泰成を見つめていた男は、苦しげに下を向いてしまった。
「あんたの名を呼びたいから、聞いてるんだ。名は、人から呼んでもらうために付けるものじゃないのか?」
 男は再び歩き出す。
 黙って泰成の横を通り過ぎ、時の流れに切り離された、崩れんばかりの廃墟へ向かう。
 いままでよりずっと力強く、まるで何かに抗うような歩調で歩いていた男は、泰成の横を過ぎてから、しばらく行って立ち止まった。
 振り返りは、しなかったけど。
「…セイ、だ」
「セイ?」
 微かな声を確かに受け取って、泰成はゆっくり歩き出す。
「セイ…どんな字を使って、セイと名付けられたんだ?」
「っ…!」
「…セイ?」
 再び、横に並んで。
 セイの綺麗な顔を覗き込んだ泰成は、形のいい震える唇が、言葉を紡ぎだすのを待っていた。
「星の…」
「うん?」
「…星の、心」