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北のはずれにある教会は、やはり何度見たって変わりばえのしない廃墟だ。
暗闇の中、しんと静まり返る建物の中へ消えた男を追って笠原泰成(カサハラタイセイ)が足を踏み入れると、咳き込むほどの埃が舞い上がる。
思わず立ち止まり、むせて咳き込む泰成を気にもせずに、惺(セイ)と名乗った不思議な男は、朽ち果てた教会の奥へ歩いていった。
「ちょ…おいっ」
見えない埃を払うように手をひらひらとさせ、なんとか呼吸を落ち着けながら後を追う泰成の、視線の先。そこだけ拭ったような、今にも崩れそうな壁際の長い椅子に、惺が腰掛けている。
「…なあ」
「…………」
「あんたまさか、ここで寝る気じゃないよな?」
嫌そうに眉を寄せるのは、当然だろう。
おおよそここは、人が長居するような場所じゃないのだから。
しかし惺は、何も言わずに壁に身体を預けて、目を閉じてしまった。
「…嘘だろ、おい」
外からは、ほうほうと森へ誘うような、不気味な何かの泣き声。
おそらくかつてはガラスが入っていたのだろう、今はぱくりと口を開けているだけの窓から、墓地まで見えている。
ただでさえ肌寒い季節。コートを着ている泰成でさえ寒いのに、惺は穴だらけのシャツ一枚だ。
一歩足を進めるだけでも、何かを踏むんじゃないかと気を使うような、朽ち果てた廃墟。
ここで寝ようなんて、正気の沙汰じゃない。
泰成はそうっと惺の傍へ近づき、その端正な顔を覗きこんだ。
僅かに差し込む月明かりでもわかる、きれいな顔立ち。ゆっくり息を吐いた唇が僅かに開いて「帰れ」と呟いた。
「なんだ…まだ寝てなかったのか」
「うるさい、出て行け」
「出て行けって、あんたの場所じゃないだろう?」
「お前の場所でもない。ここが嫌なら、とっとと出て行けばいいだろう?坊や」
子供扱いする淡々とした声に、むっとした泰成はコートを脱ぐと、それを惺の身体に掛けた。
そこで惺が、ようやく目を開け、泰成を見上げる。
「なんのつもりだ」
「あんたの方が、やわに見えるだろ」
「……馬鹿なことを」
吐き捨てる言葉に違和感を感じて、泰成は僅かに首を傾げた。
馬鹿なことを、自分でもしていると思うけど。でもいまの惺の言葉は、やけに自嘲的だったような気がする。
「惺?」
「勝手にしろ」
ぷいっと横を向いてしまった惺は、今度こそ固く目を閉じてしまったようだ。
もうこれ以上何を言っても無駄だと感じた泰成は、上着を脱ぐとそれを惺の傍らの床に敷いて腰を下ろした。
ぼんやり見つめていると、暗闇に目が慣れて、色んなものが浮かび上がってくる。
不思議と、恐ろしいとは感じない。
まあ……普段から怖いものナシの泰成なので、少しくらい暗かろうが、人気がなかろうが、怖がったりするはずがないのだ。
目に見えないものを怖がるほど繊細な神経の持ち主でもないので、たった一人で真夜中の墓地に放り出されたって、鼻歌でも歌いながら帰ってくるだろう。
もちろん、自分をそんな目に合わせた相手に何をしてやろうか、考えながら。
だから泰成は、両手を組んで頭の下にあてると、静けさに耳を澄ませながら、周囲に視線を巡らせていた。
興味があれば、一通り何でもやってみる泰成だが、さすがにこんな汚い廃墟で一晩過ごしたことはない。
自分が敷いている上着も、惺に貸してやっているコートも、埃で汚れるだろうなあと考えて、ふいに可笑しさがこみ上げてきた。目を白黒させて驚く従者が、目に見えるようだ。
そっと視線を上げ、惺を見つめる。
自分に背を向けてしまっている惺が、しっかりと泰成のコートを掴んでいるのに気付いて、何となくほっとした。
――おかしな夜だな。
泰成は口元を綻ばせている自分に気付いて、溜め息を吐く。
こんな場所で平気で寝られる、この男も大概だと思うけど。彼に付き合っている自分も、かなりおかしなことをしている。
興味を引かれたのは確かだ。
今夜は聞かなかったが、なによりあの、銃で撃たれても平然としていた惺の様子。
空想小説には、興味も知識もない泰成だけど。やっぱり、そういうことなのだろうか?
撃たれた傷が、塞がった、と。そう考えるのが一番自然だろうか?
不老不死とか吸血鬼とか、そういう馴染みのない言葉が脳裏を行き過ぎる。
こんな興味深い事態に遭遇するなら、下らないなんて言わずに、一冊くらいこの手の本も読んでおけば良かった。
さっき惺は、泰成のことを「坊や」なんて言っていた。
大人びて見える泰成だが、まだ十九になったばかり。不思議な雰囲気の惺は年齢不詳だが、やっぱり年上に見えるし、泰成を年下扱いするのも、おかしな呼び方ではないけど……でも。
なんだか、もっと高い位置から自分を見下ろしている気がして仕方ない。